参道が長く敷地も広い。
歴史を感じさせる神社です毎月1日は長寿会の方が掃除清掃をしています。
偉いと思いました。
旧村社。
御祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)。
参道は神社北東の高尾山宝勝寺駐車場の脇から始まり、社号標には指定村社 八幡神社とありました。
境内の一部が公園になり遊具もあり、また、神社後方西側は大きく開けた「新町しばふ広場」の緑地公園になっています。
高崎市指定文化財になっている、八幡宮神輿や八幡宮絵馬など江戸時代後期からのものが多く、見事な彫刻の施された本殿や、頭のあたりが摩耗してしまった狛犬の石像など、時代の古さを感じさせその保全の大切さと大変さを思いました。
ここは江戸時代の中山道新町宿・小林本陣跡の奥にあたり、旧中山道という主要街道の宿場町にある八幡神社として賑やかだったことがうかがえます。
拝殿には文久三(1863)年に宿場の遊女らによって献じられた大絵馬三面「勿来関」「花草図」「紅葉狩」が掲げられている。
他の有形文化財として「神輿」、無形文化財として「天神の獅子舞」がある。
新町八幡宮御祭神 誉田別命高崎市指定文化財「八幡宮絵馬」拝殿内を覗き込むとたくさんの絵馬が手前に奥にと掛けられているのが見えます。
絵馬は、文人画家としての研香(境町)、浮世絵師の玉斎(玉村町)の貴重な作品が奉納されています。
「勿来関(なこそのせき)」文久三年(1863)高橋屋の遊女七名による奉納(研香)「勿来関」は、郎党二名を従えた騎馬武者を中心の絵柄とし、背景に桜花を配することで、華やかさと潔さを象徴しています。
「花草図」文久三年(1863)丸富楼の遊女八名による奉納(研香)遊女八人の俳句が書かれています。
「花草図」は、画面右から上部にかけて、八重かと思われる豪華な桜花でおおい、花影の下部にはひかえめに草花を配す、見事な画面構成です。
「紅葉狩」文久三年(1863)絹屋の遊女九名による奉納(玉斎)「紅葉狩」は、平維茂が鬼女を討たんとする瞬間をとらえており、逃れんとする鬼女の動きが劇的な効果を高めています。
高崎市指定文化財「天神の獅子舞」天神地区(現在の第二区周辺)の人達によって伝承されている稲荷流獅子舞で雄二頭、雌一頭の一人立ち三頭獅子です。
獅子は鳥総を飾った頭をつけ、タッツケ袴、白足袋、草鞋ばき、腰太鼓をつけます。
元禄四年(1691)落合宿で八幡神社再建のおり、新町産の一本桐で獅子頭を新調したといわれています。
獅子三頭のほか天狗とカンカチが加わり、笛の伴奏で舞全体をリードします。
祭りの時は天神様・八幡宮を参拝し、神官に祓い清めてもらい、舞を奉納してから上三町(現在の第一区、二区、三区)の祭会所で、舞を披露します。
(境内案内板より)
参道が長く敷地も広い。
拝殿より本殿が大きいのは珍しい。
本殿は彫刻もふくめて立派なつくり。
名前 |
新町八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0274-42-3303 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
鳥居、拝殿、壁など赤い色が映えて綺麗です。
欅の大木が何本かあり、たくさんの鳩がエサを食べています。