改築されてから差ほど経ってないようです。
諏訪神社(塩谷鎮座) / / / .
塩谷諏訪神社(しおやすわじんじゃ)御祭神 八坂刀賣命 健御名方命御縁起(歴史)当社は児玉党塩谷氏の本貫地に鎮座しています。
塩谷氏は児玉庄太夫家弘(児玉党の祖とされる有道遠峯の曽孫)の弟家遠が塩谷平太夫家遠と称したことに始まり、字篠に館を構えたとされています。
「吾妻鏡」には塩谷一族の名が散見し、館跡も現存しています。
社伝によると、建久年間(1190~1199)に塩谷氏の祖塩谷平太夫家遠が武神の祖たる信濃国諏訪神社の大神を勧請したといいます。
当社は初め下諏訪神社と称していましたが、明治四十年(1907)二月七日に字上諏訪の上諏訪神社を合祀したことにより、社号を諏訪神社と改めています。
また同日に上諏訪神社に祀られていた八幡神社・稲荷神社・天神社・字上ノ台の皇大神社、厳島神社を境内社として移転しました。
境内社の天神社には明治四十年(1907)四月八日に字天神下の北野神社を合祀し、大正七年(1918)六月に社殿を改築しました。
更に、昭和二年(1927)十月に字大平(大平山)の阿夫利神社を合祀し、社号を阿夫利天神社と改称しました。
しかし、現在氏子は「阿夫利神社(大山様)」とのみ呼称しています。
このほか境内社には手長男神社・山神社・金王神社が祀られています。
諏訪神社の社殿は正徳二年(1712)に再建され、拝殿は明治二十年(1887)に再築、外宇は大正七年(1918)に新築されました。
また、平成四年(1992)に社殿・拝殿等の屋根瓦葺き替えを実施しています。
(境内案内板より)「塩谷家遠(しおやいえとお)略伝」(金屋村役場)塩谷家遠は児玉党の祖、家弘の弟に当たり、児玉党の勇者でした。
源平時代(1150年代)当所に居館を構え、以来子孫代々居住していました。
館址は昭和十八年(1943)縣史蹟の指定を受け、昭和二十八年(1953)六月十六日指定文化財の標柱を建立しました。
家遠は守護神として信濃國の諏訪神社を勧請して居館の三方に上諏訪・稲荷の三社を創立し、一族の安泰を祈願するとともに、居館から当社に至る乗切り馬場を作って馬術を奨励しました。
現在当社拝殿前から南西に延びる帯状の台地は当時の馬場の跡を留めています。
(境内奉納額より)
旧村社。
御祭神:建御名方神、八坂刀賣命(やさかとめ)。
創建:鎌倉時代相当。
社伝には、建久年間(1190-1199年)に児玉党塩谷氏の祖塩谷平太夫家遠が、武神の祖たる信濃国諏訪神社の大神を勧請したとあります。
交通量の多い、国道462号線の南側をちょっとせりあがったところにあり、境内というかその敷地には、向かって左に諏訪神社、真ん中に児玉塩谷集会所をはさみ、右に境内社と呼んでいいものか、阿夫利神社が立っていました。
尚、諏訪神社社殿の北壁にあった、塩谷家遠略伝(絵図)にある塩谷氏館跡は、ちょっと西方にある真鏡寺だそうです。
源氏とのゆかりの武将の墓もあるそうです。
現在は文化財指定にはなっていないようです。
ありがたいです。
児玉党塩谷氏ゆかりの神社です。
二つの御宮と拝殿があります。
改築されてから差ほど経ってないようです。
同敷地内に諏訪神社もある。
由緒不明。
集会所を挟んで北にある諏訪神社が本宮では?説明板も諏訪神社の物だけがある。
名前 |
諏訪神社(塩谷鎮座) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
鳥居の前に駐車場があります。
拝殿右に地域の集会所があり、その右に阿夫利神社があります。
由緒書きの看板は諏訪神社のしかないです。