確かな趣や強さが感じられた事だと思いました。
令和6年7月19日参拝御朱印あり(書置き)祭神:天津彦火邇々杵尊、平将門公旧社格:村社天慶三年(940年)に平将門公の首を祀ったことが始まりとされる神社。
【由緒】天慶3年(940)。
関東平定を一時は果たすも、藤原秀郷等に討たれ京都に晒し首にされていた平将門公の首を首桶に納めて持ち去り、武蔵国豊島郡上平河村津久戸(現・千代田区大手町周辺)の観音堂に祀って津久戸明神としたのがはじまりと言われています。
江戸城築城後の文明10年(1478)には太田道灌が江戸城の乾(北西)に当社社殿を造営。
以来、江戸城の鎮守神として厚く尊崇されています。
【解説】東西線の九段下駅を降りてすぐの場所にある神社です。
創建は平安時代に遡りますが、観音堂に祀った平将門の首が津久戸明神になるのは神仏習合がこの時代に息づいていた事が伺えます。
江戸城周辺には平将門の首塚や神田明神など将門にちなむ史跡がありますが、首塚に伝わる伝説とは別に、築土神社側は首は超常的な力を発揮する事はなく、この近辺に埋葬された事になります。
ただ、境内や建物を見る限りでは築土神社に首塚はありません。
築土神社のホームページの将門伝説の項目を読むと、明治の国家神道により神社が明治政府に管理されるようになると、逆賊である将門を祀る事が憚られるようになったため、築土神社が将門との関係を言い出せるようになったのは戦後10年ほど経ってからなのだとか。
このため、将門関連の史跡は隠されたか、戦前から戦中にかけて失われた可能性があるでしょう。
社殿はコンクリート造りの物で、限られた敷地をビルと混在する形式で、都会的な印象を受けます。
公式ページでは昭和初期に撮影された江戸時代後期に造営された鳥居と社殿の古写真を見る事が出来ます。
九段下駅から直ぐ。
ビルの谷間にある立派な神社です。
江戸城を作った太田道灌をまつり、江戸城の鎮守神社でもあるそうです。
世継稲荷のご由緒は分かりません。
都心でも珍しい、ビルの1階に鎮座する神社です。
東京メトロ九段下駅の7番出口より徒歩2分ですが、地下通路に築土神社の案内は見当たらず、靖国神社の案内につられて1番出口から出ると、ぐるーっと坂を上りながら遠回りを強いられます。
940年に大手町周辺の観音堂に平将門公の首を祀り、津久戸大明神と称したのが始まりといわれ、江戸城築城後の1478年には、太田道灌が江戸城の乾の方角の田安台に鎮守として社殿を造営しました。
山王/神田明神と共に江戸三社の1つに数えられました。
その後、田安・牛込・筑土八幡・富士見へと移り1954年に現在地に移転しましたが、1994年5月に建てられた8階建ての九段アイレックスビルの1階に入りました。
二代将軍徳川秀忠が田安稲荷と称されていた社を参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛された事による謂れから『世継稲荷』と称されるようになった社が築土神社の社務所手前の左側に鎮座しています。
社務所が不在の時はインターホンを鳴らすと対応して貰えますが、御朱印は書置きのみです。
御朱印が頂ける神社。
書置のものが頂ける。
御朱印は本殿右手の建物の奥にある社務所にて。
ホントに?ってくらい奥の方にあるドアのチャイムを鳴らすと対応して頂ける。
ドアの中に社務所がある。
ビルの建物と一体型の神社となっているのもあって境内はとても綺麗。
境内社として世継稲荷社が鎮座している。
アクセスは九段下駅。
創建は940年(天慶3年)。
平将門公の首を首桶に納め、それを祀ったのが始まり。
武道の神様として知られており、日本武道館の氏神でもあります。
その後、明治になって天津彦火邇々杵尊(天照大神の孫にあたり、天皇の祖神であり稲作を広めた神としても知られています)を勧請し、現在はそれを主祭神としており、それにより平将門公は「相殿神」となっています。
ビルの1階に鎮座し、独特の雰囲気がありますが、切れ目なく参拝される方が訪れ、篤く信仰されていることを実感しました。
御朱印(300円)はビルに入った社務所で書置きのものをいただきました。
平将門公を祀っている由緒ある神社。
通りから奥に進むと社務所があり、お守りや御朱印が頂けます。
靖国神社からもワリと近いし場所は休日で閑静なとこだった。
本殿も立派で社務所は本殿右側の通路奥にあってインターホンで要件を伝えれば来てくれて社務所を開けてもらえる。
将門塚の後に徒歩にて参詣しました。
鳥居の他に東側と南側からと別のルートからも参詣できます。
都心の中にあっても静寂な空気がありました。
ビルの谷間に位置する平将門ゆかりの神社。
独特の雰囲気を感じられます。
ご朱印は書き置き方式です。
九段下駅からすぐのところにある神社。
ちょっと変わった雰囲気の神社でした。
社務所にて御朱印を拝受。
初穂料は500円。
境内社として世継稲荷神社がある。
余談ではあるが、角川書店で有名な角川春樹さんが、毎朝参拝に来るらしい。
靖国神社が近くにあるのであまり目立ちませんが、平将門公を祀る神社だそうです。
参拝してたら年配の男性がじっと見てたので「御朱印頂けますか」と尋ねると社務所に案内していた抱きました。
御朱印も頂きました。
境内に世継稲荷神社もありました。
こちらは御朱印はないそうです。
ビルの間にある感じで、柱が神殿のような趣きでした。
中学生頃から何気なく平将門公が気になり都内にも所縁の場所がある!とリニューアル?前の首塚へは行ったけど、ひんやりパワースポットって感じでした。
今回は祀られてる神田明神さまが記念に御朱印を授与していることを知り拝受。
九段下・築土神社さまへは裏側から入ってしまい💦狛犬もマスクしてますw御朱印は書置きの立て札が。
そしてリニューアル?された将門塚へ。
広々してるけど、入るとパワースポット的な感じがやっぱりしました。
九段下駅・東西線ホームの中野寄りの端にある改札から7番出口を抜け、九段中坂を上がる途中にある。
まるで隣のビルに取り込まれそうな感じで社殿があり、鳥居をくぐると、ビルの一階部分を抜けて、社殿に至るような変わった構造になっている。
アマツノヒコホノニニギノミコトと平将門公が主祭神で、もちろん強烈なパワースポットだが、手を合わせると、神田明神や将門公の首塚のようなピリピリとしたエネルギーはあまり感じられないから、ニニギノミコトの方が主祭神なのかもしれない。
社務所も隣のビルの一階にあり、御朱印は書き置きで300円也。
なお、なお九段下駅の構内地図には筑土神社は載ってない。
また、7番出口は、他の改札と離れた場所にあるので、電車を降りたら、グーグルのナビで検索して向かった方が無難だ。
初めてきました。
この辺り何十回ときているのにまったく気がつきませんでした。
将門塚同様に凄いパワーを感じました。
またきます。
Temple xintoista a prop de l’estació de Kundashita. Està envoltat de gratacels, i això el fa tant especial.九段下駅近くの神社。
高層ビルに囲まれているので、とても特別です。
21/4月参拝ビルを併設する鉄筋コンクリート造りの近代的な有人の神社。
築土神社(つくどじんじゃ)と読みます。
東京のど真ん中らしく、鳥居と横ビルをくぐり抜けていくと本殿がある都会型の神社。
歴史は古く、創建は940年。
平将門、菅原道真を祀ってある。
日本武道館の氏神でもある。
千代田区九段下のビルの狭間に鎮座する平将門公を祀る。
かつて将門公の首桶が御神体だった神社。
江戸時代の狛犬や力石もある。
以前、都内の神社を調べてて、いつか行ってみたいと思ってたところ、今回、付近を歩いていたら、神社への案内を発見し、たどり着けました。
九段下駅から近く、付近には、知名度の高い、靖国神社や東京大神宮があります。
ビルの前に鳥居が無ければスルーしてしまいそうなビル街にありました。
社務所に伺い、書き置きの御朱印をいただきました。
場所が、分かりづらく、コンパクトな神社ですが、参拝に訪れている人は意外といました。
【千代田区指定有形民族文化財】「狛犬」...狛犬は鳥居前にもありますが、指定は社殿前(手水舎脇)にあるものです。
一方の頭上には「角」、もう一方の頭上には「宝珠」がのせられていますが、これは前者を「狛犬」、後者を「獅子」として区別するためのものです。
この狛犬は千代田区内の寺社に現存する最古の狛犬です。
東西線九段下駅より7番出口を出て徒歩3分くらいで着きました。
ビルとビルの間にある独特な雰囲気のある神社さん。
平将門の首を保管していたことで有名。
近くの日本武道館の氏神さまでもあるそうです。
狛犬も歴史があり千代田区内で一番古いもので戦災の跡なのかややすすけています。
境内の中はやや洗練された冷たい雰囲気。
本堂向かって右側にお稲荷さまが祀られており、その奥にてご朱印いただきました。
勝負事の神さまで勝ち守りが有名みたいです。
実際に独特の雰囲気があるのは確かです。
コンクリートで作った大社造風柱の位置は神明か?というような感じでしょうか 御前立ちのビルがギリギリまできているというところも面白いですね。
計算されてのことか偶然か分かりませんけれどパルテノン神殿を抜けるとそこに神社があった 大袈裟に言うとそんな感じです。
苦肉の策が特徴に変わった典型だと思います。
建物やしつらえの 面白さで四つ星をつけましたけれど 社務所では清々しいとはいかないようですね。
ありがちなことと言うと言い過ぎかもしれませんが神社、寺を問わず印を受けるということは若干のリスクを伴うのかものなのかなと思うようになってきました。
神職というものが社会人としてどうなのかと昨今問われてもおりますしね、日本における他の商習慣とは分けて考えた方が良いのかもしれません。
神社は、ビルの中にあり、近代的な雰囲気でしたがとても良かったです。
ですが、御朱印を頂くために奥の社務所に行きましたが、宮司の態度が無愛想で、すごく後味悪かったです。
目を擦りながら出てきて、無言で御朱印を受け取り、300円と一言。
また、無言でドアをバタン。
気分悪くなりました。
面倒くささが、丸見えでした。
940年創建、村社であった。
将門公の首を観音堂に祀り津久戸明神と称したのが始まりとされる。
その後幾度と遷座を繰り返し、1954年当地に遷座したという。
東京大空襲で社宝も焼失したのですが、将門公の首桶と肖像画も焼失しまったそうです(あ~…見たかったな~)。
明治政府に冷遇されていた将門公(神田明神の祭神抹消など)、1874年に霧島神宮より勧請、天津彦火邇々杵尊を主神にし、将門公を相殿に格下げしたのである。
天孫である邇々杵尊を主神に祀ることで社格を意識したそうです。
1994年の改築に伴い境内社の木津川天満宮より相殿に道真公を祀った。
これにより「将門公と道真公2つの怨霊を邇々杵尊が制している」という構図に見えるような気がしますよ。
社殿は鉄筋コンクリート造り、境内はビルの中なので虎ノ門金刀比羅宮を連想します。
毎年正月限定(1/1~15)で勝守を授与しています。
将門公の勝運を頂けるので行くべし!御朱印有。
名前 |
築土神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3261-3365 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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この界隈だと靖国神社が有名なので隠れがちですが、実際にお参りしてわかったのがビルの間にある立地からながら、確かな趣や強さが感じられた事だと思いました。
この界隈の道に詳しく無いと入口がわかりにくいかもしれませんが、神社巡りや御朱印集めにご興味があればこちらもぜひ訪れて頂きたいなと思います。