海辺の境内も穏やかな雰囲気が素敵でした。
磯遊びの帰りに立ち寄りました。
海を守るように静かに佇む雰囲気がとても素敵です。
諸磯湾の景色が素晴らしく、海辺の境内も穏やかな雰囲気が素敵でした。
地元の氏神さまです。
子どものお宮参りの折、大例祭と同日でした。
ありがとうございました。
静かであたたかい雰囲気です。
見事な銀杏の木があります。
諸磯の地をお守りする小桜姫を祀る神社です。
どうか天も地も皆が心穏やかに過ごせますように。
交通の便が悪く駐車場も駐輪場もない。
コロナ禍だったためか、近くの市営駐車場等が閉まっていた。
(5月)
走水神社と共にお参りすると良いそうです‼️
R2.7.30参拝 白山神社さんにて御朱印拝受。
知る人ぞ知るパワースポット(小桜姫神社)にお参りに来た。
地元の漁師さんも由来をご存知無かった。
海のそばの神社です。
海のそばの神社は、津波の時の避難所になる様な高台に有ると思って居たけど、ここは津波が昔から来ないのかしら?等と思いながら眺めてました。
田舎の神社って感じで、銀杏の大木が有るので、秋は銀杏の黄色い絨毯が見れそうです。
神社の奥、神社の周辺一帯に磯遊びができる場所あります。
ビーチテント持参で一日遊ぶことも。
近隣の民宿が経営する駐車場(500円/日)を利用するのが良いと思います。
「小桜姫物語」を読んで行きたくなり、お詣りしました🎵(^^)境内はとても落ち着きがあって清浄な空気に満ちていて癒やされました。
☆感謝☆
神明社の御祭神は天照皇大神、合祀神は日本武尊、大山咋尊。
家内安全、五穀豊穣、海上安全、大漁満足の御利益です。
建久、正治年間(1190年〜1200)に伊勢地方から移住した人々が伊勢神宮を勧請したのがはじまりと言われていました。
明治の終わり頃から大正の始めにかけて白鳥神社、日枝神社を合祀しました。
以上説明板より。
浜諸磯の海に遊びに行った時に立ち寄りました。
長い石段もなく、気軽に参拝出来ます。
とてもいい天気だったせいか境内は明るく、神社の横の鳥居からは漁港も見えました。
御利益が海上の安全や大漁満足が入っているので、ずっと昔からこの地域を見守っておられる神さまだなぁと思いました。
2018.04.14追記どなたかが先に修正を提案していたようで、正式名に直された。
もう、改変されない事を願う※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ここは「諸磯神社」もしくは「神明社」Googleマップのスタッフはちゃんとリサーチすべき。
ホームページのURLも掲載されているのだから、修正提案があったら確認すれば良い。
静かなところです。
参拝した後、この先の灯台の景色も観られると気持ちが良いと思います。
春先の散策に良いかと。
小桜姫自体カルトによる産物ですので小桜姫神社と言う名前でのスポット紹介は宜しくないと思います。
諸磯と言う土地は交通の便も悪く三浦市内でも屈指のカルトや変人狂人の巣窟です。
近年はパワースポットなる売り出し文句で小桜姫と諸磯を盛り上げようとする動きもありましたが騙されてはいけません。
楽観的な考えで来るべきところではありませんと地元民として警告させて頂きます。
小ぶりな社ですが、よく手入れされてます。
静かです気持ちの良い神社です。
歴史上、小桜姫と言う名前の人物は歴史上、存在しません。
誤報を信じないで下さい。
諸磯神明社の摂社の若宮社裏で三浦義意公の奥方が捕縛されたと伝承しますので、明治時代の架空歴史小説で小桜姫のモデルに成った真里谷武田家の姫の伝承地ではあります。
小桜姫とされ脚色された実在した人物の真里谷武田家の姫の伝承が有るのは諸磯神明社の本殿裏に並ぶ摂社の左から2番目の若宮社です。
小桜姫神社と言う名前ではありません。
若宮社と言う名の神社は本来、源頼朝公が造営した鶴岡八幡宮の大鞆別命(おおともわけのみこと)u003d応神天皇u003d八幡大菩薩の御分霊を祀る場所です。
同地は三浦家の拠点だったので鶴岡八幡宮から御分霊が勧進されたのでしょう。
更に明治時代以降に架空人物の小桜姫を主人公にした小説「桜の御所」が「都新聞(東京新聞)」で掲載開始されてから以後にしか小桜姫の名前は記録に登場しません。
カルトと結びついた三浦市非公認の観光活動で小桜姫を利用して信者を増やそうと、新興宗教や自称霊能者と結び付いた三浦市非公認の観光協会が歴史を無視して小桜姫神社として紹介しています。
小桜姫のモデルに成った歴史人物は戦国時代初期の武将で扇谷上杉家一族の三浦義意公の側室です。
実家は房総半島の真里谷城主武田家で、そこから海を越えて嫁入りした側室の姫様です。
ただし、重ねて言いますが明治時代の架空歴史小説の「桜の御所」出版以前の歴史書に小桜姫の名は全く登場しません。
又、真里谷武田家の後の世代の姫は間宮林蔵の祖先で戦国時代の名将である間宮康俊公の子息、間宮信高公に嫁ぎました。
間宮信高公は徳川政権下では横須賀市長坂を所領にして、徳川水軍の大将として小牧長久手の合戦で蟹江城攻めで名を残していますが、此方も小桜姫の名は一切記録に残りません。
明治の小説桜の御所でヒロインとして真里谷の姫が脚色され登場したのを歴史に無知な明治時代の庶民が事実誤認した挙げ句の果てに現代に成り三浦市非公認の観光振興に利用した結果、小桜姫を歴史人物と誤認した自称霊能者が誤って紹介したり、いたる所に小桜姫神社が乱立した経緯が有ります。
諸磯神社が小桜姫神社という場所名に変更されていました。
とても嬉しく温まる心地でした。
3年ほど前こちらに伺った時に道案内をしてくれたネコさんは元気かしら。
また今年も伺ってみたいです。
歴史上、小桜姫と言う名前の人物は歴史上、存在しません。
誤報を信じないで下さい。
諸磯神明社の摂社の若宮社裏で三浦義意公の奥方が捕縛されたと伝承しますので、明治時代の架空歴史小説で小桜姫のモデルに成った真里谷武田家の姫の伝承地ではあります。
小桜姫とされ脚色された実在した人物の真里谷武田家の姫の伝承が有るのは諸磯神明社の本殿裏に並ぶ摂社の左から2番目の若宮社です。
小桜姫神社と言う名前ではありません。
若宮社と言う名の神社は本来、源頼朝公が造営した鶴岡八幡宮の大鞆別命(おおともわけのみこと)=応神天皇=八幡大菩薩の御分霊を祀る場所です。
同地は三浦家の拠点だったので鶴岡八幡宮から御分霊が勧進されたのでしょう。
更に明治時代以降に架空人物の小桜姫を主人公にした小説「桜の御所」が「都新聞(東京新聞)」で掲載開始されてから以後にしか小桜姫の名前は記録に登場しません。
カルトと結びついた三浦市非公認の観光活動で小桜姫を利用して信者を増やそうと、新興宗教や自称霊能者と結び付いた三浦市非公認の観光協会が歴史を無視して小桜姫神社として紹介しています。
小桜姫のモデルに成った歴史人物は戦国時代初期の武将で扇谷上杉家一族の三浦義意公の側室です。
実家は房総半島の真里谷城主武田家で、そこから海を越えて嫁入りした側室の姫様です。
ただし、重ねて言いますが明治時代の架空歴史小説の「桜の御所」出版以前の歴史書に小桜姫の名は全く登場しません。
又、真里谷武田家の後の世代の姫は間宮林蔵の祖先で戦国時代の名将である間宮康俊公の子息、間宮信高公に嫁ぎました。
間宮信高公は徳川政権下では横須賀市長坂を所領にして、徳川水軍の大将として小牧長久手の合戦で蟹江城攻めで名を残していますが、此方も小桜姫の名は一切記録に残りません。
明治の小説桜の御所でヒロインとして真里谷の姫が脚色され登場したのを歴史に無知な明治時代の庶民が事実誤認した挙げ句の果てに現代に成り三浦市非公認の観光振興に利用した結果、小桜姫を歴史人物と誤認した自称霊能者が誤って紹介したり、いたる所に小桜姫神社が乱立した経緯が有ります。
海が間近の神社です。
諸磯神明社とありました。
可愛い生花が供えられた祠があり、小桜姫神社として崇拝されているそう。
浜諸磯を守り守られている印象です。
海の近くにある神社夜に行くと不気味に光ってます。
諸磯神明社の境内社のようで、神明鳥居が二重にありました。
諸磯神明社は海の畔にある緑に囲まれた神社ですその傍らにある小さな若宮が小桜姫神社波の音と風に揺れる葉の音だけが聞こえる穏やかな所でした。
名前 |
諸磯神明社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-761-6387 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
ポツンと海辺に佇む渋い神社でした。