われら日本が 欧米列国から植民地されるわが国の危機...
松陰神社拝殿の左手奥にある。
松陰神社参拝の際は是非松陰のお墓にも手を合わせて来るべきだと思う。
松蔭先生のお墓がこんな所にあるなんて知らなかった。
塾も。
吉田松陰先生は、われら日本が 欧米列国から植民地されるわが国の危機を一歩早く指導してわれら日本を護った大功労者です。
松下村塾の塾生は、久坂玄瑞と高杉晋作 二人の活躍を中心にして 明治維新後は 初代総理大臣の伊藤博文公、明治で大活躍した山縣有朋公や 入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義など門下生の活躍が明治維新大日本の繁栄につながりました。
明治維新の礎になり、長州からわれら祖国日本国のためにわれら日本人の誇りです。
わが国に貢献した尊敬されている先人がお札になるべきだとおもいます。
吉田松陰先生は靖国神社にも祭られていますし、自らの松陰神社もございます。
松陰先生が眠っておられます。
松陰先生の墓は真ん中で表示もされてます。
松蔭先生に逢いたくて来ました。
歓喜余って涙しか出ません。
松蔭先生だけ分かりやすく示してあります。
松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。
1882年11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。
現在の社殿は1927年から1928年にかけて造営されたものである。
頼三樹三郎、広沢真臣らの墓もある。
松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが、1868年、木戸孝允がこれを修復整備した。
墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居が残っている。
また、敷地に隣接する形で桂太郎の墓もあるが、案内が不十分なこともあり、参拝者は少ない。
桂自身の遺言により、この地に埋葬された。
この場所は神社なので線香を手向けないようにしてください。
吉田松陰の墓所。
案内もあり、わかりやすかったです。
スロープもありバリアフリー対応です。
松陰先生が30才で亡くならなければ、どのような日本になっていたのでせう。
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂。
吉田松陰の墓所、松陰神社は国士舘の東に、安政の大獄を断行したおんな城主直虎の子孫、井伊直弼の墓所、豪徳寺は西に所在する。
歴史の皮肉を感じる。
グーグルが墓石の位置を正しくしてくれたので、やっとスッキリした。
松下村塾は萩に、墓は東京に有る。
『今日死を決するの安心は、四時の順環に於て得る所あり。
蓋し彼の禾稼を見るに春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。
秋冬に至れば人皆其の歳功の成る悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。
未だ曾て西成に臨んで、歳功の終るを哀しむものを聞かず』留魂録。
静かなところです。
名前 |
吉田松陰墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~5:00 |
評価 |
4.2 |
吉田松陰墓所に続く通路に石灯籠が立ち並んでいます。
この光景は、毛利元就の菩提寺(萩市「東光寺」)の石灯籠を思い起こさせます。
東光寺の場合は、一つひとつの灯籠が家臣たちを表しているのだという説明を受けた覚えがあります。