広い境内を備えた武蔵国分寺があります。
この辺りは神社があったり、薬師堂があったり、仁王門があったりと、深く長い歴史のある一帯ですね。
こちらのお寺も本堂は大きく、境内に入る前には大きな門が参拝者を迎いれてくれます。
この辺りは武蔵丘陵地で奈良時代は中野辺りまで海辺が来ていて、高台だったリ、水源があったが故、このお寺の周辺部に住居跡が集まっていたのでは。
お寺です。
いわれは深いんだろうなぁ、よー、わからんけど。
でも、ここいら一帯、人が穴居時代から住み続けてるんだよね。
当時も寺ってあったんかね。
ないよねぇ。
要はここは、この界隈一帯は、人間の生活があったって場所なんだ。
そこに中央政府の建立指示のもと、お寺さんが建てられた。
建てたのは政府の威光を示す?ため? まぁ、人々の生活・考えを宗教的側面から支えることを通じて、国家の安定を図ったんだろうけど、でもそれは、実際の当地ではどうだったんだろうね。
お寺、ここにいた人達にとっては、この地にいる人々に寄り添うように建立されたものなんだ、と思ったんじゃないかな。
人とともにあれ。
ここに居る人と共にあり、導こう、と考えたんだろうな、と思う。
ありき、じゃないんだ。
あってこそ、なんだ。
人を救う存在、あってこそなんだ。
だから、ありがたい。
広大な武蔵国分寺跡の一隅に、真言宗豊山派の国分寺がある。
国分寺跡から続く一本道の先に石段があり、それを上ると古い仁王門があり、更に、石段を上がると薬師堂が、その歴史を物語るかの如く建っていた。
並立している八幡神社に手を合わせて帰ろうとしたが、横道に入ると大きな山門が目に止まり、そこが国分寺であることに気が付いた。
境内は、この宗派の総本山長谷寺を始めとし、草花を大事にする特色を存分に表現している。
周辺も散歩コースとして整備されており、年配者が静かな時を過ごしていた。
多くの人が知っているけど、あまり行ったことはない場所。
武蔵国の国分寺。
東京郊外とは思えないこの一角だけ鎌倉や京都の路地に迷い込んだ感覚になる。
とても不思議な場所。
通りすがりで時間も無かったので外から見ただけだったのですが、真言宗豊山派寺院ならじっくり見学及び礼拝したいのでいつかまた伺います。
鎌倉末期、新田義貞と鎌倉軍の分倍河原の戦いで奈良時代に創建された国分寺は焼失。
現在の薬師堂や仁王門は江戸中期に再建されたもので歴史を感じさせます。
楼門は別のお寺から明治期に移築されたものですが、立派な建物です。
コロナの影響で御朱印は受け付けていませんでした。
緑が多く、のどかなところです。
正確には医王山最勝院国分寺といい、真言宗の寺である。
奈良時代に創建された国分寺の境内地にあり、その名を継ぐ貴重な寺である。
現在の本堂は昭和末期の改築。
令和元年10月18日参拝ご住職が所用のため、御朱印はいただけませんでした。
何度も来ていますが静かな寺です。
名前 |
国分寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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江戸時代の建築様式を取り入れた立派な門を進むと、広い境内を備えた武蔵国分寺があります。