博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。
小さな岡で坂が急。
参道付近にあります。
香椎宮 頓宮の境内には万葉歌碑として、神亀5年の万葉歌3首がの歌碑が建立されています。
神亀5年(728年)、大宰府の長官大伴旅人、次官小野老、豊後守宇努首男人の三人が香椎宮へ参拝し、その帰り香椎潟に駒を止めてそれぞれ歌を詠みました。
そのいきさつと、三首の歌を万葉仮名で碑に刻んでいます。
明治21年、市内では最も早く、内大臣三条実美の揮毫で建立されました。
「いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さえぬれて 朝菜摘みてむ」(大伴旅人)訳:さあみんな、香椎潟で着物の袖までぬらして朝餉の海藻をつもう。
「時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈てな」(小野老)訳:風が吹きそうになった。
香椎潟の潮干の浦で、海藻を刈ろう。
「往き還り 常にわが見し 香椎潟 明日ゆ後には 見む縁も無し」(宇努首男人)訳:大宰府の生き返りにいつも見ていた香椎潟だが、(都に帰るので)明日からは見ることもありません。
説明文によると明治21年に建立された、三条実美の筆になるこの万葉歌碑の碑面には神亀5年(728年)太宰卿大伴旅人が香椎廊参詣の際に詠んだ『いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへぬれて朝菜摘みてむ』のほか、大弐小野老と豊前守宇努首男人の3首の短歌が万葉仮名で刻まれている。
昭和初期までは、この丘のふもとまで波が打寄せ、丘上からは、まだ潮干狩りのできる遠浅の礒部を見渡すことができた。
名前 |
香椎潟 万葉歌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.6 |
松本清張の「点と線」の冒頭部分に登場する万葉歌「鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。
この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。
前面には「海の中道」が帯のように伸びて、その端に志賀島の山が海に浮び、その左の方には能古島がかすむ眺望のきれいなところである。
この海岸を香椎潟といった。
昔の「橿日の浦」である。
太宰帥であった大伴旅人はここに遊んで、「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへぬれて朝菜摘みてむ」(万葉集巻六)と詠んだ。
」(点と線/松本清張)