名門佐竹家の久保田城、素晴らしいです。
平山城です。
かなり幅の広い三重の堀に囲まれています。
平城のため石垣はありませんが、小高い台地を利用して複数の曲輪が組み合わせてあります。
度重なる火災被害でほとんどの遺構が焼けてしまったようで、中にある建物は大体復元されたものです。
写真のように苔むした木が歴史を感じさせます。
また城の隅々まで手入れが行き届いている非常にきれいなお城です。
トイレはいろいろな場所に複数あります。
ゴールデンウィークのため八重桜が満開で非常に綺麗でした。
お茶屋さんで舞妓さんに会えるイベントをやっていました。
私の好きなゲームで馴染みのある佐竹義宣さんが徳川幕府開府以降、秋田の城主になっていた事は知りませんでしたので、軽い驚きでした。
戦国時代には桜はなかったでしょうが、平和の時代の象徴として植えられた、この桜達をいつまでも維持していかなくては...と考えさせられました..。
桜まつりの方は、偶然初日に伺ったのですが天気も悪くなく、出店も出ていて、老若男女総出の賑やかで、コロナが収束していくのでは....と思わせる盛況ぶりでした。
関ヶ原で西軍に付き常陸国から秋田に移封された、佐竹義宣が建てた城です。
江戸幕府への忠誠や金銭、築城の時間的な問題もあり「天守」や「石垣」はありません。
分類でいうと平山城になります。
山の上に見える建物は天守ではなく隅櫓になります(再建)。
藩政時代から現存する建物は、本丸表門手前にある「物頭番所」のみになります。
日本100名城。
平山城。
堀、土塁。
城内は公園化され散策コースに最高です。
土塁が所々に残っています。
思いを馳せながらの登城でした。
2021/11/21訪問久保田城は現在、千秋公園として整備されています。
JR秋田駅から徒歩15分ほどで到着します。
1602年から1871年まで12代、約270年間続いた秋田落20万5800石の佐行氏の居城。
石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らした城で、もともと天守閣もなかったそうです。
現在は、御隅櫓があります。
御隅櫓の最上階からの眺めは格別です!復元模型もあり、歴史を学ぶことができます。
久保田城跡を散策中、とても気持ちが晴れやかになります。
それもそのはずで、千秋公園は・日本100名城・日本の都市公園100選・さくら名所100選・日本の歴史公園100選など、たくさんの100選に選ばれています。
百名城の一つ。
城跡は千秋公園として整備されており、園内には広場や神社、アヤメ園などがある。
南側には図書館や劇場が建てられており、大手門の掘りには夏頃蓮の花が咲き乱れる。
南側の入り口から入城すると二の丸跡の広場が広がり、左手の石段(長坂)を上った先に復元された壮大な表門(一ノ門)、そして本丸が広がっている。
北西辺には四層の御隅櫓が展望所として復元されている。
関ヶ原後に佐竹氏によって築城された城で、天守閣は無く土塁で作られた城である。
本丸は明治維新後に火災で全焼した。
秋田駅からは徒歩10分ほど、南側に二の丸駐車場(有料)有り。
眺めは良かった。
庭が美しですね。
心がなごみます。
桜の名所ですが、コロナの対策で2021年は行燈などが出てなくて、ちょっと寂しい景色でした。
サクラ🌸の満開の時に散策しました。
天気も穏やかで気持ちいい時間でした。
途中、幼稚園の子供さんたちもお散歩していました。
昨日は最高の紅葉日和でした!赤も黄色も色鮮やかで逆光に映えました👏
千秋公園に朝散歩。
清々しくとても良かったです。
この度は半分しか行けませんでした(時間の都合で)次回はゆっくりみたいと思いました。
久保田城(くぼたじょう)は、羽後国(旧出羽国)秋田郡久保田(現在の秋田県秋田市千秋公園近辺)にあった城郭。
久保田藩主佐竹氏の居城である。
矢留城、葛根城とも呼ばれている。
江戸時代後期から明治時代の公式文書では「秋田城」と書かれることも多かったが、古代に出羽国府が置かれた秋田城とは所在地ともに別の城である。
秋田市指定の名勝としての正式名称は「千秋公園(久保田城跡)」であり、「久保田城」が使われている。
雄物川の支流である旭川の左岸、程野村窪田にある神明山(しんめいやま、標高40m)に築かれた平山城。
石垣は基底部に僅かにあるのみでその上に土塁を盛られており(鉢巻土手)、天守も持たず塁上に「出し御書院」(だしおしょいん)または「御出書院」(おだししょいん)と呼ばれる櫓座敷を建ててその代わりとし、他に8棟の櫓を建て並べていた。
石垣が無いのは幕府に遠慮したためと言われるが、佐竹氏の旧領常陸国を含む東国ではもともと石垣を用いない築城法が一般的であったため、石垣作りに精通した者が家中に居なかったという説もある(但し後に江戸城の修築を命じられた時、佐竹氏は石垣の普請も担当している)。
いずれにせよ、山川沼沢を巧みに利用し防御を図っており、水堀や円郭式城郭など西国の様式も採り入れられている。
なお、天守については寛永10年(1633年)の火災以前には「御三階櫓」があったという説があるが、この時期の城内を描いた絵図などは残されておらず、確証は得られていない。
1880年(明治13年)の大火で城内の建造物はほぼ焼失しており、市街再建の過程で堀の多くも埋め立てられ、城下の中通を中心に秋田県初期の官庁街へと変貌した。
現在、久保田城本丸・二の丸一帯は千秋公園となり、三の丸には秋田県民会館や秋田市立中央図書館明徳館、平野政吉美術館、秋田県立脳血管研究センターなどが整備されている。
秋田県知事公舎は三の丸御殿の跡地に建てられている。
建造物としては、前述の大火を逃れかつ解体も移築もされなかった御物頭御番所が現存し、本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)、本丸表門が再建されている。
移築された建造物としては、焼失を免れた裏門が楼門から平屋へと改修を受けた上で旭北寺町の鱗勝院に現存している。
神明山の最高所を均して本丸とし、ここに藩主の居館である本丸御殿と政務所を置いた。
周囲を多聞長屋と板塀で取り囲み、表門・裏門・帯曲輪門・埋門・切戸口という5箇所の出入口を設けた。
表門は一ノ門ともいい、そこから二の丸へ通じる手前に長坂門(二ノ門)があった。
南西隅で岬のように突出した最高所の土地を「出し」と呼び、「出し御書院」「御出書院」という櫓座敷を設けた。
本丸東側の一段低い土地を二の丸とし、勘定所・境目方役所・祈祷所安楽院・時鐘・金蔵・厩などを置いた。
外部からの出入りは全て二の丸に集まるようになっており、松下門・黒門・厩門(不浄門)・土門(北御門)という4箇所の出入口を設けた。
それぞれ下中城、上中城、山ノ手、八幡山に通じる。
現在は松下門跡が千秋公園の正面入口となっているが、藩政期の正式な登城の道は黒門を経由するものだった。
二の丸の北・東・南を取り囲むように三の丸があり、重臣屋敷を置いた。
東部を上中城、南部を下中城、北東部を山ノ手(手形上町)という。
山ノ手の西(本丸の北西)にある八幡山も三の丸に含まれるが、ここには重臣屋敷ではなく正八幡社(小八幡社)・稲荷社・別当寺金乗院を置いた。
八幡山の更に北側には北の丸があり、大木屋(おごや、木材加工所)と籾蔵を置いた。
また、本丸西側で内外堀に挟まれ島状になった西曲輪(捨曲輪)には、兵具蔵を置いた。
本丸・二の丸を内堀で囲み(西兵具蔵前堀・南堀・東堀・北堀)、三の丸を外堀で囲んだ(八幡宮後堀・西兵具蔵外堀・東外堀・南外堀)。
その他も北の丸の周囲(北の丸下堀・北の丸下北の方堀)、中通廓と亀の町廓・長野下の間(大堀)、亀の町廓と築地の間(上堀)、亀の町廓と楢山の間(下堀)などに堀を設けた。
堀の多くは、旭川の旧河道である。
現在ではほとんど埋め立てられ、現存するものは南堀の一部、東堀の一部、西兵具蔵外堀の一部(穴門堀)、南外堀の一部(大手門堀)のみとなっている。
城の直接的な機能を持つ本丸・二の丸・北の丸・西曲輪を総じて「一の廓」、重臣屋敷が設けられた三の丸を「二の廓」、同じく重臣・高禄の家臣の屋敷町となった中通を「三の廓」、それに続く亀の町を「四の廓」と呼び、土手・堀を持たないその他の侍町を「外廓」と呼んだ。
但しこの分類は時期によって変遷がみられる。
一門や重臣の屋敷を丸の内から広小路や長野町・古川堀反町など本丸に近い町に配置し、楢山や保戸野など離れたところには主に小録の家臣を配置した(但し門の近くなど重要な場所には重臣を置いた)。
侍町を総じて「内町」と称した。
町人町は「外町」(とまち)と呼ばれ、城の西側に旭川を挟んで配置した。
内町は防衛のため屈曲・食い違いの多い道路線形になっているが、外町は交通の利便のため碁盤の目状に区画されている。
歴史ある所なので勉強になった。
子供の頃良く遊んだ場所です。
憩いの場としては良い場所であると思いますが城跡としては敷地の広さと区画がはっきりしているのでそれをもとに思いを馳せるというそんな感じです。
本来は2層の隅櫓だったそうですが、復元の際に展望台をつけて3層にしてしまったそうです。
城郭ファンとしては、やはり史実に正確に復元して欲しかったですね。
展示物もパネルだけで、これと言って観るものはありませんでした。
夏のスカイブルーの空に、真っ白な雲がとても綺麗でした。
御朱印も頂いて、散策するのに持ってこいでした。
😊✌️
日本100名城のひとつ。
スタンプは御隅櫓と佐竹資料館にあります。
駐車場は史料館前にあります。
城内はかつての本丸・二の丸部分が公園として整備されており、家族連れも多く遊んでいる立派な都市公園。
遺構としては、御隅櫓が最大の見どころ。
大きくはありませんが、上階から秋田市内を一望できるとともに、久保田城・秋田の地に関する展示があります。
他にも、表門や佐竹氏の銅像、胡月池が見どころでしょうか。
加えて現存する江戸期唯一の建物が御物頭御番所。
日中は建物のなかを見学することができます。
御隅櫓からみて敷地の反対側に所在する佐竹氏史料館は、御隅櫓よりも充実した展示がなされており、訪問する価値があります。
佐竹氏史料館を除けば1時間あれば見学時間として十分です。
史料館含めて2時間程度。
新緑と紅葉の時期に行きましたが、いずれも雨でした…。
雨だったためひっそりとしていましたが、城としてのスケールはなかなかなもので、隅々まで見て廻ると結構な時間が掛かると思います。
佐竹義宣公の銅像もなんとなく品があって、結構お気に入りの場所です。
桜祭りの時はまだ寒い🌸でもライトアップも見たいかんじだし屋台いっぱい出てて楽し。
つつじ祭りは5月中旬〜下旬ころ。
桜の季節もいいけど冬のりんとした空気の中散歩するのも楽しい。
雪が降る日に登城しました。
天守の手すりの朱塗りに目を捕られました。
印象に残っています。
名門佐竹家の久保田城、素晴らしいです。
私が伺ったときはあいにく雨の日だったので、次回は晴れの時に伺いたいですね。
佐竹宗家名誉城主佐竹一門を代表してこれからも市民の皆さんや国際的に秋田市に愛される千秋公園であって欲しいです。
みんなのいこいの広場イベントを評価します‼
名前 |
久保田城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:30 |
関連サイト |
https://www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1002685/1009873/1009870/index.html |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ
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日本百名城。
当時から天守や石垣はなく、お堀と土塁で構成されたお城。
1880年(明治13年)の大火でほとんどの建物は焼失してしまい、現存している建造物は御物頭御番所のみ。
本丸新兵隅櫓と本丸表門は再建されたもの。
入場も無料というか、丘の上にある公園を散策するといった感じです。
展示解説物は少ないです。
秋田藩20万石の居城で城主は佐竹氏。
戦国時代までこの地は秋田氏が治めていましたが関ヶ原の戦いで西軍の石田三成側についたことにより常陸国に転封となり、代わりに常陸国から佐竹氏が国替えしてきました。
秋田駅からも徒歩10分強とアクセス良好。
駐車場は有料です。
所要時間は20分ほど。