この複雑な地形は、空堀だったんですね。
報徳ニ宮神社の裏手から小田原城に向かう途中に残る曲輪の遺構で、報徳二宮神社がこの小峰曲輪の一角に建てられました。
後北条氏により造られた古い曲輪で、江戸時代前期には雷曲輪、後期には小峰曲輪と呼ばれていたそうです。
その頃、堀は7、8メートルの深さがあったのだとか。
案内板がないとぜんぜん見過ごしてしまいますが、それが立っているあたりは小峰曲輪を囲む堀の北側の部分で、石垣を用いない土塁と空堀だけの、戦国時代の城の原型を留めている貴重な遺構とありました。
小田原城内にある。
広場のような感じ。
この複雑な地形は、空堀だったんですね。
あまりおめにかかれない、珍しい名称な気がします。
ただの空堀あとにみえるので、感想は難しいです。
報徳二宮神社境内は戦国時代北条氏により作られた曲輪の場所でした。
名前 |
小峯曲輪北堀 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
立看板の表示により気付きました。
雑木林の原生林の中に、両側を土塁で固められたような窪地。
水が溜まっています。
取り残されたようなような遺稿です。