長い間、地元が維持し続けて今に繋がる。
一本檜稲荷神社(本社) / / / .
ウォーキングの途中、たまたま崩れてきそうな稲荷神社に気がついた。
でも保存されてるんだから何かいわれが…と思ったら、やっぱり!江戸時代以前から災害や飢饉を鎮めるために稲荷の祠が建てられたが、その祠の脇にヒノキが植えられていた。
そのヒノキを鷹狩で中野に来た8代将軍吉宗が賞賛したという。
現在のヒノキはもちろん当時のものではないが、祠の脇に貼り付くようにうえられている。
そして何故か、この社から`ブロック離れたところに新しい社が建てられている。
なぜ??
老朽化と荒廃が進んでおり、何だかお稲荷さまが可哀想です。
境外社のほうは綺麗になっているので、何とか本社も再建がなされればいいなと思いました。
荒廃している印象のある神社。
ただ、周りの環境の急速な変化に、ここだけ時間が止まっているような取り残された感があって、なんとなく歴史を感じる神社。
江戸時代、5代将軍綱吉は「生類憐みの令」を発し、幕府直轄の犬屋敷「御囲」をつくり(この地域の囲町の謂れ)、野犬を厚く保護した。
その後廃止され、鷹狩のお狩場となった。
跡地には花桃の木が植えられ、江戸庶民の花見の名所になったという。
この地域が桃園地域といわれる所以だ。
8代将軍吉宗が、鷹狩でこの地に来たおり、一本檜稲荷神社の檜をみて「見事な檜よ」と絶賛されたとの逸話がある。
小さいながら、由緒ある神社で貴重な遺跡でもある。
名前 |
一本檜稲荷神社(本社) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
手入れされておらず、立ち入り禁止。