関東大震災の被災者を祀ってるところ 合掌?
「鳥屋・地震峠大正12(1923)年9月1日午前11時58分、突如として関東地方を襲ったいわゆる関東大震災。
この地震は横浜で震度6の裂震で、当時県内では横浜気象台しか観測していなかった。
この日の東京横浜地方は、南西の風が強く、雨は昼前ごろにあがり、気温30度前と、かなり蒸し暑い日であった。
楽しい昼食のひとときが始まろうとしていた時に、災害史上空前の大惨事 関東大震災が発生したのである。
本県はこの大地震により最も著しい被害を受けた。
すなわち裂震による建築物の倒壊とこれによる圧死、負傷、更にそれらを遥かに凌ぐ大火災による多数の焼死者、加うるに地震津波による相模湾周辺の被害もあって三万三千人の死者・行方不明者、六万六千人の負傷者と十二万を越す全壊焼失家屋が記録された。
当津久井郡内では、死者三十三名、負傷者十六名、全壊棟数百二十戸、半壊棟数四百三戸となっているが、この内ここ馬石では、死者十六名、埋没棟数九戸で、死者が確認されたのは八人のみ、ある家では六人家族全員が埋没死したのである。
当時の串川は現在の県道よりもずっと南側を流れていたが、山津波のために串川がせき止められ、上流五百メートル位まで湖のようになってしまったという。
この奥に埋没した方々の慰霊碑が建てられている。
どうか、心ある方は一度参拝し、不幸にして亡くなられた方の霊を慰めていただきたい。
津久井町教育委員会」との事⭐駐車場やトイレは見当たらないです。
名前 |
地震峠 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
少し奥の方まで歩いたけど、土が滑ってきたらひとたまりもないなと感じる場所でした。