岩井武俊『維新の史蹟』(1939星野書店刊)によれ...
岩井武俊『維新の史蹟』(1939星野書店刊)によれば,山陰街道と物集女街道の交叉点にあたるこの地樫原で,元治元(1864)年7月19日の禁門の変で敗れて逃走中の長州藩士楳本僊之助と薩摩藩士相良頼元・新八郎兄弟の3名が,幕府方の追手である小浜藩士に斬殺された。
村人はこれを共同墓地に手厚く葬った。
ただし薩摩藩は相良兄弟は自藩士にあらずと否定したという。
この石標は,楳本・相良兄弟の終焉の地を示すものである。
相良兄弟については薩摩藩を脱藩,宇都宮藩士と称し長州藩士と行を共にしていたという説もあり,履歴が判然としない。
しかし明治33年5月5日をもって「旧鹿児島相良頼元同相良新八郎」を靖国神社へ合祀するという陸軍省告示(4月21日付)が出ているので,薩摩藩士であったことはたしかなようである。
名前 |
勤王家殉難之地 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ni001.html |
評価 |
4.5 |
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記念碑がある。
歴史好きの人には興味深いかも。