山頭火好きはぜひとも。
種田山頭火文学碑(こやぶ竹聲庵) / / .
うしなひし ははのくるしみ たづさへてくもぞながるる けふのはれまで。
1882(明治15)年、山口県に生まれた山頭火は、「荻原井泉水」門下で、「尾崎放哉」とともに自由律俳句を代表する俳人だが、ともに酒癖で生活を持ち崩した二人でもあった。
山頭火は、晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と記し、また「いつも考えるのは、井月のことである。
彼の酒好きや最期のことである。
」とも記す。
1939(昭和14)年5月3日、傾倒する井月の墓参を目的に伊那を訪れ、俳友「前田若水」の案内でその目的を果たして、5月5日に「西箕輪村与地(現在の伊那市)」から「権兵衛峠」を越え、木曽を経て山口県に帰っている。
1940(昭和15)年10月11日に愛媛県松山市で、脳溢血のため享年58で帰らぬ人となった酒と旅を愛した山頭火の「風来居日記」から5月4日、5月5日を抄出し、そこに記された句「あの水この水天竜となる水音(伊那) 寝ころべば信濃の空のふかいかな」とともに刻んだ文学碑が、1998(平成10)年5月に現在地に建立された。
名前 |
種田山頭火文学碑(こやぶ竹聲庵) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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山頭火好きはぜひとも。