地域の避難場所(城跡)案内板を頼りに登っていくと着...
城跡の西側の集会所に車を停めさせて頂きました。
詳細な案内板が有りました。
城跡へは民家を抜けてミカン畑の急坂を登ると割と早く付きます。
この城跡は何と言っても本丸周囲の土塁が見どころかと思います。
土塁に登って眺望するもよし、段差を実感するもよいかと。
本丸の平地は広く、周囲に段々の曲輪が巡ります。
南東に降りていくと洞穴が1個ありました。
井戸か溜池のような跡を過ぎていくと、登城してきた舗装路に出られました。
標高122m、比高約114m和歌山県指定文化財西麓の丸山中央集会場に縄張図、想定図付きの説明板があった案内標識が建ってて迷うことはない公園化された曲輪は5月らしく新緑に覆われてた🌿眺めは海まで見える(*´▽`*)ゞ土塁♪が残ってた切岸♪もかなりの規模段郭群はどこまで農地改変されてるかはわからない_(^^;)ゞ東側の出丸には連続堀切♬に土塁♪がヤブの中に残ってた👌遊歩道を散歩が良さげなトコ🚶
クワガタトリホーダイ。
近くの集会所に車を駐車させてもらい城跡を目指します。
亀山城跡は御坊市の指定文化財となっています。
途中、軽トラックが登ってきたので驚きましたが、避難所となっているため舗装された道で歩きやすいです。
しかし、山頂までの高さは低くても一気に登っていく感じで急な坂道となっています。
山頂広場は整備されておらず、とてもここで食事する気にはなりません。
時間を持て余したときにふらっと寄る程度の場所です。
JR御坊駅の裏手にある標高121mの亀山。
ここは中世このあたりを支配していた湯川氏が亀山城という居城を築いた場所です。
山頂からは日高平野を一望できるほか、お花見スポットとしても人気です。
ノーベル賞湯川博士は湯川氏の御子孫です。
行くとするなら花見限定になります。
桜の本数、ロケーションで言えば最高です。
でも車だと四駆の軽でしか行けず、下の公民館辺りに駐車しての徒歩になりますが結構しんどいです。
花見期間中の夜は提灯点灯します。
大勢で行けばどうって事無いと思いますが数人なら多分怖いと思います。
戦国時代、湯川氏の居城跡です。
土塁がチラホラ残っている程度です。
春になれば桜の名所になり夜にはライトアップされ綺麗です。
ただ道が狭く、頂上に行くには徒歩となります。
頂上には休憩所(屋根あり)があり近くに洞窟(防空壕と幼い頃に聞いた覚えがあります)がありますが入口が狭いため大人は入れません。
築城年代は定かではないが湯川氏によって築かれたと云われる。
湯川氏は甲斐源氏の武田三郎忠長が熊野の賊を平らげて芳養庄を賜り、内羽位に館を構え湯川(湯河)氏を称したことに始まる。
亀山城が築かれたのは貞和4年・正平3年(1348年)頃とも永享11年(1439年)頃とも云われ定かではないが、日高に進出した湯川光春によって築かれたと云われる。
その後代々湯川氏の居城であったが、十一代湯川直光は天文18年(1549年)頃に小松原館を築いた。
これは単なる居館ではなく平城であったと云われる。
移した理由については「亀山城は寒風の季節は住みにくい」というものであった。
天正13年(1585年)羽柴秀吉が紀州へ侵攻すると、湯川直春は娘婿の手取城主玉置直和に対して同調して秀吉と対決することを望んだが、玉置氏はこれに従わなかった。
怒った直春は二百余名で手取城を攻め焼き払った。
その後、秀吉の大軍に攻められた湯川氏は城を焼き払って退去し後に和睦する。
しかし、天正14年(1586年)湯川直春は羽柴秀長の居城である大和郡山城で没した。
一説に謀殺されたとも伝えられる。
春は桜が綺麗です。
徒歩です 遠いです桜スポットです。
名前 |
亀山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.gobo.wakayama.jp/kanko/bunkarekisi/bunka/ahibunka/shiseki/1382688182372.html |
評価 |
3.4 |
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地域の避難場所(城跡)案内板を頼りに登っていくと着きました。
石碑と像、簡易トイレがあります。
道は、細いので軽自動車でも厳しいと思います。
城跡から見える町並み。