式内社 大和國高市郡 呉津孫神社ですこのお社の起源はー『日本書紀』雄略紀からー雄略天皇は 朝廷書記官で渡来人の「身狭村主青(むさのすぐりあお)」と「檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)」を呉の国に派遣する呉王が返礼として献ずる呉人は 主に機織りに関わる 漢織(あやはとり) 呉織(くれはとり) 衣縫の兄媛(えひめ) 弟媛(おとひめ)等であったこれらの呉人を住まわせたので 呉原(くれはら)と名付けた呉原が訛り栗原の地名に転化 これが今の栗原の由来らしくこの呉人らが 氏神として祖神「呉津孫命」を祀ったのが起源。
名前 |
呉津彦神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=34145 |
評価 |
4.2 |
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呉津彦神社(くれつひこ) 式内社 旧村社御祭神 呉津孫神、木花咲耶姫命、天児屋根命壇上に二つの祠があり、向かって右が木花咲耶姫命、左が天児屋根命だそうです。
しかし呉津孫神は何処でしょう。
日中関係が難しくなってる神様もどこかへ移動したのかな。
二つの祠の壇の階段下に意味不明な祠が一つ。
賽銭箱かな。
また右手に二つのコンクリートブロックで作った祠がありますが、中は空っぽ。
さらに右手の雑木の中に陽石のような石があります。
毘沙門の「毘」という文字だけは読めますが、何かは分りません。
壇の左側には石仏が一体ありますが、仏様のお名前は分りません。
神社の隣が寺になっていますので、石仏ならそちらに置かれるものでしょうが、なぜかこの石仏だけは神社側にあります。
分からないことだらけの謎の神社です。