観音堂からの眺めがいい。
須弥寺遺跡(しゅみじ)須弥寺は山号を円通山、現在は西山浄土宗に属します。
宗の開祖である弘法大師が平安時代の初め(九世紀前半)に創建したと伝えられていましたが、平成九年の発掘調査によって奈良時代後期(八世紀後半)の瓦が出土し、寺伝よりも年代が古くなることが確認されました。
その後、一時期衰退しますが、平安時代後期に石清水八幡宮神官の森宮内少輔公文が再建したと伝えられています。
調査でもこの時代の瓦が確認されています。
鎌倉時代後期(十三世紀後半から十四世紀初頭)には意匠性の高い瓦が用いられていることなど、再び隆盛を極めたようです。
また、交野市獅子窟寺や郡津神社、奈良市の薬師寺からも同箔瓦が出土しています。
名前 |
須弥寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-891-1225 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
しゅみじ。
交野で最も古いお寺の一つ。
宗派は西山浄土宗。
須彌寺縁起によるとこの寺は弘法大師による平安時代初期の創建とあるが、平成9年交野市教育委員会の発掘調査で奈良時代後半であることが確認された。
その後寺は荒廃するが延久年間(1069~1074)に石清水八幡宮の神官である森宮内少輔公文(もりくないしょうゆくもん)という人がこの地に隠せいした際に石清水八幡宮から観音像を迎え再興。
鎌倉時代には非常に栄えたと伝えられている。
そのため村人たちは森公文を深く敬い彼の名前をとって村の名前を無垢根村から森村へと変えたとされている。
警護観音がまつられている。
大分県宇佐八幡宮から京都府石清水八幡宮への勧請を警護した観音像といわれる。
陰陽石がある。
古代人の性器崇拝のシンボルで五穀豊穣と子孫繁栄を祈った。
奪衣婆(だつえば)像がまつられている。
亡くなった人が三途の川で最初に出会う着衣をはぎ取る女の鬼とされる。
しかし最後には赤子に乳を与えるそうだ。
(交野市星のまち観光協会ガイド担当)