長皇子(ながのみこ)の歌碑 / / .
この付近は江戸時代中期まで、海岸線であった。
そして白砂青松の名勝地で、松風が霰を吹きつけるように響いたのでこの名があるという。
その有様は万葉集にも収録されているが、江戸時代に入って大和川付け替え工事や新田開発により、海岸線が移動し景観が一変してしまった。
碑の前の道は紀州街道で、高麗橋東詰の里程元標を起点に、堺筋を南下和歌山に至っている。
この付近は街道の面影をよく残しており、新しく街道名の入った道しるべが建てられるなど、歴史の顕彰が行われている。
万葉集(巻一)天武天皇の第4子の長皇子(ながのみこ)の歌碑です。
「霰打つ あられ松原 すみのえの 弟日(おとひ)おとめと 見れど飽かぬかも」
名前 |
長皇子(ながのみこ)の歌碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.7 |
近くを行くときは決まって休憩に立ち寄ります。