案内板をよんで、昔を偲ぶのみです。
かつて土佐藩の藩邸があったことを示す石碑と駒札があるのみ。
ただ、高瀬川のすぐそばにあったということは高瀬川から伏見を経て大坂に通じていたわけで、そこからは海を通して土佐にもつながる。
物流だけじゃなく人や情報のためにここに藩邸を?など想像が広がる。
「大政奉還150年幕末維新を歩こう」 この高瀬川を渡った西側、西は河原町通にいたる間、元立誠小学校あたりは、江戸時代、土佐藩(高知県)の藩邸があった。
高瀬川に面しても門が開かれ、高瀬川には土佐橋が架かっていた。
藩邸がはじめておかれたのは江戸時代で、元禄3年(1690)には、京都藩邸の守るべき法律が詳しく定められている。
藩邸は藩の京都連絡事務所で、留守居役が詰め、町人の御用掛を指定して、各種の連絡事務にあたった。
土佐藩は、薩摩、長州とならんで幕末政局の主導権を握った雄藩。
武市瑞山(ずいざん)、坂本竜馬、中岡慎太郎、後藤象二郎ら土佐藩出身の志士がさかんに活躍した。
藩邸は、土佐藩の活躍の京都における根拠地であった。
中京区木屋町通蛸薬師角備前島町【正式名称】土佐藩邸跡【住所】木屋町通蛸薬師角。
名前 |
土佐藩邸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na083.html |
評価 |
4.0 |
ここにあの土佐藩邸があったかと思うとそれだけでワクワクします。