正確に位置付けできているわけではなさそうです。
聚楽城 武家地 上杉景勝屋敷跡碑 / / .
上杉景勝の屋敷があったところだそうです。
黒田如水の邸跡も近く、聚楽第もこの近くだったようなので、秀吉が有力な家臣をそばに住まわせていたのかもしれません。
説明板を読む限りでは、上杉景勝邸跡であると、正確に位置付けできているわけではなさそうです。
どっちかというと「ここだといいなぁ」みたいな感じ。
今度、考古資料館で聞いて来よう!いやぁ、すっきりした気持ちで「洛陽城裏、花に背いて帰る」って浸りたかった。
たまたま通りかかったら石碑と看板がありこの場所に上杉景勝、直江兼続が京都在住時はこの場所に居たのだと思いながら見てました。
名前 |
聚楽城 武家地 上杉景勝屋敷跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
上京区黒門通一条上る西側に「聚楽城武家地 上杉景勝屋敷跡」の石碑と説明書があります。
上杉景勝(1556年-1623年 戦国時代~江戸時代の大名)は、豊臣家の五大老の1人として、会津120万石領した大名です。
豊臣秀吉の命で聚楽城の周りに大名屋敷がたてられました。
当地は、その際、北の大名だった上杉景勝が屋敷が建てられた場所です。
この近くに家臣の直江兼続の屋敷跡もあり、直江兼続も出入りしていたんだなと思られる。