境内には無人のお寺と石碑だけですがこの周囲は高低差...
日本三大奇襲(夜戦)戦の1つ川越夜戦跡‼️あと2つは・桶狭間の戦い・厳島の戦い東明寺(時宗)の境内に石碑があります。
石碑しかありません…川越夜戦までの背景を知って訪れると感慨深いような…一番街又は川越氷川神社から10分以内で着きます。
川越一番街(蔵造りの町並み)の、キャパシティを超えた人出の多さや喧噪とは打って変わって、ここは誰一人居ない。
此の分かり易い、余りにも安易なギャップに、不思議と愉快に感じるのは私だけか。
歴史的に見て、比較的重要な場所は此処の様に思えるが、其れは人其々。
日本人は、《三大〇〇》とあらゆる事柄を三つにまとめて表現することが大好きである。
【川越夜戦】は、誰が決めたのか、【厳島の戦い】【桶狭間の戦い】と並び称される、日本三大奇襲戦の一つである。
この戦いの歴史的意義としてシンプルに表現すると、関東支配を巡っての、室町幕府成立以来の旧勢力(鎌倉/古河の足利氏・関東管領上杉氏)から、新勢力(小田原北条氏)へ勢力図が移り変わったという事かな。
知らんけど。
東明寺に今も謂れを示す石碑や解説板がある。
県の解説だと「福島綱成」ってなっておるんだな!(北条綱成」とされることも多いけど)
北条早雲の嫡男、後北条氏の2代目当主北条氏綱は武蔵国征服のため、武蔵国を支配していた上杉氏の居城・河越城に侵攻、1524年(大永4年)から4度にわたる争奪戦が展開された。
「河越城の戦い」で特に有名なのが、関東の政局を決定した大きな戦いとなった5度目の天文15年(1546年)の戦いで、日本三大奇襲(日本三大夜戦)の一つ「河越夜戦」である。
境内には無人のお寺と石碑だけですがこの周囲は高低差があり河越夜戦の面影を偲ぶことができます。
ぬこいました なごみます。
河越夜戦の激戦地と伝えられる東明寺の境内には、河越夜戦跡の碑が建てられ、将兵の遺骸を納めた富士塚が残る。
1751~1764年に掘ったところ髑髏が500体ばかり出たという。
塚の上には稲荷諏訪天満宮がある。
これは難波田憲重が河越夜戦で東明寺口の古井戸に落ちて死んだため、霊を祀ったものである。
当時、東明寺は広大な寺領があり、その門前町は鎌倉時代より賑わった。
そこが戦場になったことから、古くは「東明寺口合戦」とも言われた。
明治期の道路工事でも一帯からは夥しい人骨が出ている。
東明寺の門前に説明板があり往時が偲ばれます。
私の菩提寺です。
500年の歴史あるお寺です。
父親の命日に墓参りに行きます。
今月21日です。
河越夜戦があった事を後世に伝えてくれています。
美しいイチョウの巨大な木、静かな古代の戦場跡(原文)美麗的銀杏巨木,寧靜的古戰場遺跡。
大きなイチョウの木があります。
河越夜戦の主戦場と伝わりますが、ここが戦場であったという根拠は良質の歴史資料には出てきません。
北条氏康自身も、河越夜戦をこことは河越城を挟んで反対方向にある「砂窪」の戦い、と書き残しており、ここが河越夜戦の主戦場だったという伝承には疑問符が付きます。
戦国時代の1つの舞台。
碑が少し建っているだけではありますが。
静かでよかったです。
日本三大夜戦の一つであり知名度はあると思われますが、観光客はほとんど来ません。
穴場スポットです。
名前 |
川越夜戦跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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日本三大奇襲のひとつですね🤔