北鎌倉駅近くの晴明石、驚きの出会い。
安倍晴明大神の石碑の特徴
北鎌倉駅から徒歩約5分、アクセス良好な場所に位置しています。
踏切脇にひっそり佇む、小さな安倍晴明の石碑です。
近隣には晴明関連の名所、八雲神社や晴明井戸もあります。
先日、北鎌倉駅近くにある八雲神社の「晴明石」や十王堂橋近くの「晴明井戸」を訪れ、今日は、第六天社(こちらにも晴明の石碑があります)から、こちらの石碑へとやってきました。
横須賀線と県道21号が交わる第三鎌倉道踏切すぐそばの、和食店「鎌倉五山」の隣に安倍晴明の石碑が立っていました。
源頼朝が鎌倉入をした頃、こちらに仮住まいしたそうですが、晴明の護符が貼られていたため、火災に遭わなかったとのことです。
安倍晴明といえば、平安時代に京で活躍した人というイメージが強かったので、時代も場所も違う鎌倉に、これほど多く名前が刻まれていると知り、新鮮な驚きを感じました。
94.安倍晴明大明神アクセス:「北鎌倉駅」下車、徒歩約5分。
JR北鎌倉駅から鶴岡八幡宮方面に進み、JR横須賀線踏切りを渡った右手に、「安倍晴明大明神」の碑があります。
たつて安倍晴明の舘があったと伝えられている。
また、さらに進み、右側の「亀ヶ谷坂切通」の入口を通りすぎて進むと、右側に急階段の建長寺の鎮守神「第六天社」があり、その鳥居の左側にも大きな「安倍晴明大明神」の碑があります。
~源頼朝の館と安倍晴明~1180年(治承4年)10月6日、鎌倉に入った源頼朝には、あわただしく、いそがしい状況で、居舘は新築でなかった。
西北方の山内にあった知家事兼道(ちげじかねみち)という人物の舘が、取り壊されて移築なれることになった。
「知家事」とは、有力な家の内部の事務を処理する役目らしい。
この知家事兼道の舘は、平安中期の正暦年間(990~995)に建てられたものであった。
約200年の間、火災等にも遭わずに残ったのは、陰陽家で有名な安倍晴明による鎮宅の護符が貼られていからであったといわれていた。
知家事兼道の舘も、この近辺にあったのかも知れない。
そもそも、安倍晴明(921~1005)とは・・・平安以降、鎌倉時代から明治に至るまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。
陰陽師は、星の動きで吉凶を予測し、呪術をつかっての厄除けや怨霊を鎮める役職にあったそうです。
源頼朝の鎌倉の館を建てるが、出来上がるまでは山ノ内の兼道という有力者の館を移築して仮屋とする。
この館は正暦年間に建てられたが、一度も火災に遭ったことがない。
晴明朝臣が鎮宅の符を押した ためである。
この石碑は明治39年に作られたものであり、またかなりの年月に渡って放置されていたらしい。
この碑の隣に<五山>と いう蕎麦屋があるが、そこの主人が偶然発見して祀ったという話である。
安倍晴明は平安時代に数々の霊験を現して名声を極めた陰陽師で、鎌倉にも赴いてきたと伝えられ、数カ所に碑が建てられています。
鎌倉に建てられている碑では、安倍晴明ではなく安部清明と表記されています。
まさかこんなところに…
道端の石碑。
山ノ内の八雲神社には「晴明石」がある。
思わず通り過ぎてしまいそう。
ひっそりと佇んでいます。
この付近に2つある「晴明石」の1つが、石碑の裏に隠れています。
道端の石碑。
山ノ内の八雲神社には「晴明石」がある。
名前 |
安倍晴明大神の石碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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踏切脇にたたずむ小さな石碑。
地元では、かつて安倍晴明が館を構えていたと伝えられますが、果たしてどうでしょうか?電車待ちの合間に、手を合わせてあげて下さい。