多賀城以前に存在した官衙遺跡と知って、興味が湧きま...
仙台郡山官衙遺跡(飛鳥時代) / / .
近所ではありませんが、たまに抜け道で通ります。
看板なんてあったんですね。
あすと長町に近く、幹線道路から入ってすぐの場所なので住宅地として売り出せば瞬く間に売れるでしょうね。
もったいない…..
貴重な遺跡であり歴史的意味を踏まえて、もっと整備して欲しいと願います。
奈良時代に多賀城の前に陸奥国の国府が設置されていた場所です。
着いたのが夕方過ぎて暗くなってしまい、写真は説明版のみで草っぱらは写っていません。
が、草っぱら見てもあまり意味はないかと思います。
というわけで説明版の記載内容が読めればいいかと思い、アップします。
遺構は見られないが、多賀城以前に存在した官衙遺跡と知って、興味が湧きました。
早く整備されて欲しいと思いました。
宮城県中部に所在する東北地方最古の官衙遺跡である。
遺跡は7世紀半ば大化改新のころに成立し、奈良時代前半に造営される多賀城の成立期前後まで営まれていた。
7世紀末ころに全面的に改修され、改修の前後では施設の方位や構造が大きく異なっており、「1期官衙」と「2期官衙」と称されている。
1期官衙は東西約300m、南北約600mの規模をもち、官衙全体の方位が東に大きく振れる。
このなかに塀で区画された中枢部や倉庫群、雑舎群などが配置される。
2期官衙は方位を北に合わせて材木列と大溝で区画された方四町の規模をもつ。
市立郡山中学校の西側に郡山廃寺跡の碑が立っています。
またここには遺跡発掘調査事務所があり、郡山遺跡のパンフレットいただきました。
遺跡碑や説明パネルはここ以外にも立っています。
郡山遺跡からは、後に郡山廃寺と名づけられた場所から、多賀城のものと似た瓦が見つかっていたが、長く調査の手がつけられなかった。
1979年(昭和54年)に仙台市教育委員会が調査を開始し、廃寺とI期、II期の官衙を確認した。
以後、数十次にわたる発掘調査が実施されている。
発掘当初は、陸奥国府説と並んで、名取郡の郡衙や、文献に名が出ない城柵ではないかとする推測もあったが11,、現在ではII期官衙を多賀城以前の陸奥国府とするのが定説である。
1987年(昭和62年)には官衙遺跡の下層から弥生土器が見つかり、官衙以前にも集落があったことが示唆された。
多賀城の周囲をみると多くの遺跡が残っています。
例えば、多くの瓦を焼いた村があります。
しかし、瓦を焼くにしても、中央から遠く離れたこの地を管理するのは難しいのではないかとずっと思っていました。
多賀城に進出するまえにベースとなる場所があったのですね。
ここに行っても、遺跡らしいものをみられるわけではありませんが、多賀城の前の時代を想像するにはいいところです。
多賀城の周囲をみると多くの遺跡が残っています。
例えば、多くの瓦を焼いた村があります。
しかし、瓦を焼くにしても、中央から遠く離れたこの地を管理するのは難しいのではないかとずっと思っていました。
多賀城に進出するまえにベースとなる場所があったのですね。
ここに行っても、遺跡らしいものをみられるわけではありませんが、多賀城の前の時代を想像するにはいいところです。
仙台郡山官衙遺跡群、郡山官衙遺跡、郡山廃寺跡。
7世紀の中頃~8世紀前半までの頃の官衙の跡で、国指定の史跡です。
多賀城が築造される前の陸奥国国府の遺構(多賀城の前身施設)と考えられています。
近隣にも郡山遺跡に関連する遺跡群が多く存在します。
しかし、その多くが宅地化の影響を受け、地面の下にあり見ることはできません。
現在は石碑が建つのみで、広い空き地となっています。
ただの更地で立ち入りてきません。
名前 |
仙台郡山官衙遺跡(飛鳥時代) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.1 |
石碑と案内板がありましたが、発掘後は更地になっていました。
案内板によると広大な敷地に建物が建っていたようです。