名前 |
指来明神 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.0 |
実は先日の大雨で境内が流れてしまい、立入禁止になっている(2018.7.26)。
速やかな復旧を願っている。
地図に「孔大寺神社」とあったりするのは、一の鳥居扁額にそう書いてあるからで、まあ仕方ない。
ところが二の鳥居は「豊前坊」社殿直前には「指來明神」とあり、注意深い人は却って混乱しそうだ。
これは開化期の神社合祀令に従って、指來明神の近くにあった豊日社(豊前坊)や孔大寺社を合祀したのに伴い、その鳥居を持ってきたもの。
現社名としては「指来神社」が正しい。
それで御祭神のうち、気長足姫命・阿蘇津彦命が指來明神。
気長足姫(おきながたらしひめ)は神功皇后の名。
創建は神功皇后に因むはずが、その伝承はない。
大己貴命・少彦名命・高龗神・水波能売命は孔大寺社から。
彦山豊前坊こと豊日別命は、豊日社(豊前坊)の神である。
実は探していたのが豊前坊だったので、そちらが消えたのは残念でならない。
貝原益軒が撰んだ「続筑前國風土記」には、田嶋村の人は英彦山に行かないなどと、聞き捨てならない話が書いてあるので。
田嶋宮(宗像大社)に対し、釣川を挟んで対岸やや川上に位置する豊前坊は、反証になるかと思ったのだが。
社殿は東向きに建つので、参拝者は西に向かう姿勢になる。
田嶋宮に尻を向けない配慮だろうか?そう言えば、田嶋宮周囲には神功皇后を祀る、或いは関連する社が取り囲むように立つのに、現在の宗像大社辺津宮に神功皇后の名は見当たらない。