伊予の国風土記の逸文が引用されている。
鎌倉時代後期に編纂された釈日本紀の第七巻に、伊予の国風土記の逸文が引用されている。
この第七巻は、日本書紀の中にある解釈が難しい項目に詳しい説明書きを加えたもの。
この天山神社が登場するのは、天香山の項目。
伊予の郡、郡役所の東北に天山がある。
倭に天加具山がある。
天から天下る時、二分し片端は倭国に、片端はこの地天下った云々と記述されている。
地元町内はこれを名誉に思う人々が多い。
奈良の香久山神社に行ったときに、神社にいたおば様から「愛媛の天山と香久山は双子」と聞き、いつか行ってみたいと思っていました。
住宅街の中にある小高い山の中にひっそりとあり、香久山との関係も書かれてあり、とても素敵な場所でした。
ただ、周りの道は狭く、駐車場もありません。
近所の方にお尋ねし、近くの公民館に駐車させていただき、参拝しました。
『伊予国風土記』に、天上にあった山が二つに分かれて落ち、ひとつは奈良県の香具山に、もうひとつがこの天山になったという記述が残されています。
奈良県には「天の香具山」「耳成山」「畝傍山」の大和三山が有りますが、当地には「天山」「星岡山」「東山」の天山三山があります。
大和三山に倣ってではありませんが、いにしえを感じさせられる地であり、長い参道の途中から松山市街を見下ろしつつ、古代伊予の国に想いを馳せつつ参拝しました。
ヰヨ(四国)では、イフキさん(イフキヌシの子孫)が、ニニキネさんの新田開発にならって、松山平野のほぼ中央にアメヤマ(松山市天山)を積み上げて田水を得たという。
(ホツマツタヱ24-107・108)【資料1】“伊予風土記に(略)天山と名付けたわけは、大和の天の加具山が天から降ったとき、二つに分かれて片一方は大和の国に天降り、片一方はこの地に降った、それで天山というのである”【資料2】“「伊予国風土記」逸文によると、天香具山が天から降るとき二分し、一方は大和の香具山となり、他は当地の天山になったという”【資料3】(釈日本紀巻七所収逸文)として、「伊予国風土記」からその該当部分の翻刻を次のとおり掲載している。
“伊予の国の風土記にいはく、伊与の郡。
郡家より東北のかたに天山あり。
天山と名づくる由は、倭〔やまと〕に天〔あめ〕の加具山〔かぐやま〕あり。
天より天降りし時に、二つに分れて、片端は倭の国に天降り、片端はこの土〔くに〕に天降りき。
よりて天山といふ、本〔ことのもと〕なり。
(その御影〔みかげ〕を敬礼〔ゐやま〕ひて、久米寺に奉〔まつ〕れり。
)以上の漢字文献は、ホツマツタヱ24-107・108にある新田開発の描写「イヨノイフキハ アメヤマニ ウツシタオナス アスカキミ カクヤマウツシ ミヤノナモ ハセカワホリテ アスカカワ フチオタトナス」の部分が元となって伝わったと思われる。
名前 |
天山神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
089-975-1744 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
ここは是非6月中旬から7月頭にかけて咲く綺麗なアジサイを見に来ていただきたいと思います。