神事を行った縁起を持つ由緒正しい古社。
今は御朱印は休止中でいただけませんでしたが、お参りをして帰りました。
駐車場に行く道が狭いので大きな車は注意です。
木々が多くて気持ちよかったです。
考察ヲシロワケ天皇の息子ヤマトタケ様(コウス様)には、兄のヲウス様がいましたが、こちらは身体が弱かったので、西の平定に成功されて、都に戻ると東征にもヤマトタケ様が出陣されました。
東征には、ムラクモツルキを持参されませんでした。
ヤマトタケ様の本名は、ハナヒコ様と言います。
ソサノヲ様の本名は、ハナキネ様と言います。
ヤマトタケ様は、自分がソサノヲ様の生まれ変わりと思うようになっていました。
平定の途中に神奈川足柄に立ち寄り、ここ寒田神社にソサノヲ様を祭りました。
今の由緒の祭神には、表には出されていませんが。
ヤマトタケ様が平定されて都に戻る途中の山、伊吹山(祭神ツキヨミ様の息子イヘキドヌシ様)の怒りを買いました。
祖母の倭姫様から、授かっていた大事なムラクモツルキを置いてくるなんて。
ヤマトタケ様は、この山で命に関わる大怪我をされました。
そして、能褒野にて命を落とすことになりました。
ヤマトタケ様の妻の一人であるミヤズヒメ様は、夫ヤマトタケ様の御心にて熱田神宮を建てムラクモツルキを草薙剣として祀りました。
By ロックベル。
旅行の神様。
立ち姿の狛犬の周りには子供?が居て、とても珍しいですね。
静かな神社でした。
駐車場の入口は分かりにくいです。
周りの木がとても大きく自分が小さい印象を受けました。
とても気持ちのいい神社です。
御朱印はコロナの影響でやっていません。
御朱印を集めて関東、東海地方の神社や寺院を参拝してます。
気に入った(相性の良さそうな)場所はそこで御朱印帳もいただいて、月参りをするのを楽しみとしています。
こちらは御朱印も月に二回変わるそうで、御朱印帳のデザインも好み、拝殿で手を合わせた時も爽やかな風が吹いてくる、とご縁を感じて御朱印帳もいただきました。
これから毎月お伺いするのが楽しみです。
直書きとか書置きとかはこだわらないタイプです。
今日で二度目の参拝ですが、いずれも気持ちよくご対応して頂きました。
毎回、社務所で他の参拝の方とも会いますので、人気がある神社のようです。
自分は相性中心なので、その点はあまり気にならない部分ですが、多くの人から信仰を集める清々しい神社です。
小田急線の新松田駅と御殿場線の松田駅の近くにある。
寒田神社の創建は、仁徳天皇三年(315)ととても古く、歴史と格式を備えた由緒ある神社です。
珍しものだと歯の供養碑が建立されている。
説明文書には下記が記されている。
本碑の起源は昭和参拾年ときの会長田村良三氏の発案により全国に先がけて我々歯科医師の日常抜去した歯牙を祀り世の人の健康を希い生きとし生けるもの全ての生命安らかにして幸いならんと祈り当時寒田神社宮司薮田喜作氏の指導により全会員が抜去歯牙を持ち寄り毎年秋の彼岸に供養を始めた事に由来するものである爾来歯の供養祭として会員の心の寄りところとなってきたが会長の提唱により本行事を永く後世に残さんと宮司薮田義文氏の理解ある。
協力によって歯の供養碑をここに建立する。
仁徳天皇の時代の創建で相模国の延喜式内社十三社の内の一社。
半月ごとに季節に基づいた御朱印のデザインが変わります。
月変わりの御朱印を求めて行って来ました。
御殿場線の松田駅、小田急線の新松田駅から程よいお散歩距離です。
静かな境内で風の音を聞きながら暫し佇むもよし👍お目当ての御朱印は社務所で頂きますが書き置き対応になることもあるようです。
マジ最悪。
13社で参拝して寒田神社に行って御朱印お願いしようとしたら、今は書けないです。
って言われたので『では、また後日の為にいつだったら書いてもらえますか?』そしたら『いつでも大丈夫なんですが、今は…あっ!2時に来てくれたら今日でも大丈夫です』と、言われたので、高速で来ていたという事もあったので、二時間待つことに、時間になって行ったら、『出かけているので、今日は書けない。
』って言われました。
約束はどこへやら?13社巡りする方は本当に気を付けた方がいいですよ。
ご祭神 倭健命(やまとたけるのみこと) 弟橘比売命(倭健命の妃)、誉田別命、菅原道真公 平安時代中期の「延喜式神名帳」に記載された延喜式相模の国13社の1つで歴史ある神社です。
倭健命が東征の際にしばらくこの地に滞在されたとされる。
この地で東征の幸先を祈願した際、酒匂川に酒を流し、東征後この地に戻ってきた際にまだ酒の香りが残っていたため酒匂川と名付けられたと伝えられる。
このときの椀とされている木椀が神社に伝えられていて、境内には「腰掛石」が有ります。
現代では、フクロウのアオバズクが渡ってきて、子育てをし帰って行くようです。
1656年、酒匂川の氾濫により本殿等が流された事があるそうです。
本殿の裏に、歯の供養碑があります。
[延喜式内社]相模國 足上郡 寒田神社境内に駐車して、社号標とかの撮影をされる場合は、社務所で一言伝えてから向かいましょう。
自分は無断駐車と思われて宮司さんに怒られました。
引っ越し前に最後の参拝のつもりだったので大分ショックでしたが、無断駐車が多いとのことで仕方なしです。
2014.3のこと。
延喜式内社相模国十三座の中の一座日本武尊が滞在し、神事を行った縁起を持つ由緒正しい古社。
境内は比較的広い。
日本武尊が東征の折りに立ち寄り、酒匂川に木椀に入った酒を撒いて戦勝祈願神事を行った。
戦から帰還しても木椀に酒の香りが残っており、これが酒匂川の河川名由来に成った。
社宝に弥生時代製の木椀が有り神話と考古学的な時代背景に整合性が高く、同地の近くまで古代は海が迫っていた事から陸路で日本武尊が移動した際に古東海道沿いに寒田神社に立ち寄ったのだろう。
倭姫命が卑弥呼だとすれば、日本武尊が卑弥呼の弟王の子となり、日本武尊の父は景行天皇となる。
JR御殿場線松田駅、小田急線大井松田駅からすぐの立地。
切り抜き文字で厄とか病とか書かれていて、落とすことができます。
私も「厄」を落としてきました。
宮司さん境内含め気持ちのいい神社です。
闇深い神社です。
きれいな境内です2017年7月朔日から宮司さんが変わったとのことでした。
女性の方だそうです。
弥生時代後期の椀が御神宝とのこと。
歴史を感じます。
延喜式内社相模国十三座の中の一座日本武尊が滞在し、神事を行った縁起を持つ由緒正しい古社。
境内は比較的広い。
日本武尊が東征の折りに立ち寄り、酒匂川に木椀に入った酒を撒いて戦勝祈願神事を行った。
戦から帰還しても木椀に酒の香りが残っており、これが酒匂川の河川名由来に成った。
社宝に弥生時代製の木椀が有り神話と考古学的な時代背景に整合性が高く、同地の近くまで古代は海が迫っていた事から陸路で日本武尊が移動した際に古東海道沿いに寒田神社に立ち寄ったのだろう。
倭姫命が卑弥呼だとすれば、日本武尊が卑弥呼の弟王の子となり、日本武尊の父は景行天皇となる。
御朱印を貰いに行ったら宮司さんが不在だった。
他の神社への応援が多いとのこと。
行く前に電話で所在を確かめてから行くといいらしい。
名前 |
寒田神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0465-82-1931 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
新松田駅から徒歩7分程度で酒匂川堰堤近く。
いくつかの神社案内を読みましたが、927年の『延喜式神名帳』に記載されている相模国の延喜式内社十三社の内の一社とのことです。