関ヶ原合戦の前哨戦の地 どう 感じる!
高須城跡に行きました。
現在は公園になってます。
小さいお子さんを遊ばせるにはちょうどいいですね。
下記、看板に書かれてる内容です。
この地は、付近の土豪の一族だった高木盛兼が、文禄元年(1592)より1万石で所有していた。
盛兼は豊臣秀吉に仕え、一説には小田原攻めの功績により高須城主に取り立てられたという。
関ヶ原の戦いで西軍についた盛兼は城に籠り戦に備えていたが、慶長5年(1600年)8月19年、東軍の福島正則の命を受けた松ノ木城(海津町松木)の徳永寿昌、今尾城(平田町今尾)の市橋長勝ら東軍勢の攻撃を受けた。
「高須城主記」によると、降伏を勧める使者を受け入れた盛兼は、舟で城かはから逃れ去ったという。
寿昌、長勝らは、決戦前の8月16日に丸毛兼利の福束城(安八郡輪之内町)も攻略しており、東軍の勝利に貢献した。
高須藩3万石の主城跡、徳川茂徳、松平容保、松平定敬など幕末に活躍した人材が多い現状城跡らしき物は見当たらないが、掘りの跡には小川が流れている辺りは水屋が多くどれも城跡に見えてしまうのが残念かもここを訪れたら南濃の行基寺まで足を伸ばしたい。
名前 |
高須城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.1 |
堀跡が残っています。