関ヶ原の戦いの時代の高須城址でした。
高須城跡(城跡公園)現在は市街地化し遺構はほとんど残っていません。
城の中心部は現在の海津明誠高校の辺りに築かれていたようで、近くの城跡公園には案内板が設置されています。
【歴史】高須城の歴史は古くに延元三年(1338)越前灯明寺畷の戦いで新田義貞の首級を上げた戦功により足利尊氏から美濃国石津郡内の地頭職を与えられた氏家重国によって城館が築かれたそうです。
氏家氏はその後大垣に移りましたが。
戦国時代になると大永二年(1522)大橋源左衛門重一が高須城を築きます。
天正12年(1584)日根野弥十郎信勝、加藤伝左衛門重次らが城主となり、文禄元年(1592)からは高木十郎左衛門盛兼が一万石で入城。
慶長五年(1600年)関ヶ原合戦時に盛兼は西軍に加担しますが東軍の徳永寿昌(松ノ木城)、市橋長勝(今尾城)の攻撃を受けて落城。
慶長6年(1601年)徳永寿昌が関ヶ原合戦の戦功によって五万石の大名として高須城に入り、高須藩を立藩します。
寿昌は入城後三年をかけて城を修築、城下町も整備しますが次代の徳永昌重は寛永5年(1628年)大坂城二の丸の石垣普請を遅滞したために所領没収、廃藩となりました。
その後元禄13年(1700年)尾張藩主徳川光友の次男で信濃国高井藩主松平義行が高須藩へ転封となり、以降、高須藩三万石として代々続きました。
#お城 #城 #城跡#岐阜県 #海津市 #高須城#高須城跡。
今は普通の公園に見えます、が、歴史ある場所なんですね😃高須城の事、初めて知りました。
関ヶ原の戦いとは、歴史を感じました。
往時を偲べるものは近くにある主水橋周辺かな。
駐車場もない小さな公園です。
子供のたまり場です。
名前 |
城跡公園 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.2 |
高須松平家を調べたくて行きましたが、関ヶ原の戦いの時代の高須城址でした。