毎年、花見に来ています。
大平伊賀守国祐(おおひら・いがのかみ・くにすけ)の館跡敵襲があると和田山の頂上ににある大平山城で臨戦態勢に成った和田山城(別名は、讃岐大平城・猪ノ鼻城)猪ノ鼻(いのはな)和田山城は、平安時代に平家と合戦するために先発隊として讃岐に和田義盛の一族が和田山城を築城その後は、廃城となり400年程荒れていたそこに細川頼弘から和田山を与えられた大平国祐により改築が加えられて生まれ変わるも、長曽我部元親の軍により焼き払われ再び廃城の憂き目にここは、かつての城のフモトで山頂に城は、あった(斜面に多少であるが銀が含有されていたが江戸幕府が)全て採取したと言われる江戸時代に徳川幕府が山を削った跡が所々に見てとれる🌠大平家家老の伊丹家は、現在の兵庫県(但馬の国)の国人だったが讃岐大平家に讃岐に招かれ従った但馬家の拠点は、大阪府にもあり❗️伊丹姓が大阪府に多い🌠台の山公園は、大平家館跡VR(タブレット)を使い450年前にタイムスリップできるがまだここには、導入されていない讃岐高松市の高松市城では、導入されている猪ノ鼻城は、讃岐に2つ存在する1️⃣平安時代に和田義盛の一族が築城し大平国祐が再建した(香川県観音寺市豊浜町👈旧香川県三豊郡豊浜町)合戦で焼失2️⃣旧猪ノ鼻城を模して新猪ノ鼻城が建設された讃岐と阿波の国境近くに築城されたが合戦で焼失した(香川県三豊市財田町・徳島県三好市に隣接地に築城された)こちらも大平国祐が築城した(猪ノ鼻峠🌠いのはな・とうげ)螺旋状に成った急な峠は、新猪ノ鼻城の防御施設として活躍した馬で逆落し(馬で勢いを付けて敵陣を切り裂く)敵を切り裂いた後は、大平家のゆかりの川之江城の(近藤家の流れをくむ大西家などが伊予の国への退路を作ったりし)川之江経由で豊浜へも抜けれた👈これは、大平家が危険に成った時のみ使った経路(ほぼ無かった)香川県三豊山本町長野付近から攻められた場合は、六地蔵と現代で呼ばれる山道にも頂上に小さな館があり👈長野村まで来る前に敵は、大平家重臣の讃岐石原家や讃岐平石家に倒された阿波の国と讃岐の国の国境の攻防は、両国の生命線だった。
名前 |
台の山公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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毎年、花見に来ています。
知る人ぞ知る。
隠れたさくらの名所です。
ゆっくりと花見を満喫できました。