隅田川の辺、浅草寺発祥の地に建つ駒形堂。
駒形橋の西詰北にある駒形堂、古来浅草寺詣での人達が船で訪れた際、上陸後に最初にお詣りするお堂であったとのこと。
馬頭観音が祀られています。
瓦屋根朱塗りの現在のお堂は、平成15年に再建されたもの。
創建は天慶5年(942)で、葛飾北斎や安藤広重の絵にも描かれましたが、以前のお堂は関東大震災で損壊したとのこと。
駒形堂は、ご本尊とご示現の聖地とのことで、浅草寺のご本尊の聖観音菩薩様がおよそ千四百年前に隅田川からご示現されて、はじめて奉安された地に建つお堂とのこと。
昔、このあたりは船着場で、渡し船や船宿がありたいへん賑わいをみせていて、船で浅草寺参拝に訪れた人々はまずこの地に上陸して駒形堂を参拝して観音堂に向かったとされている。
この御堂の御本尊さまは馬頭観音様で今も昔も行き交う人々をお守りくださっている。
現在のお堂は平成十五年に再建されたもので、今もこの地は御本尊のご示現の聖地として人々の信仰に支えられ毎月の十九日の馬頭観音様のご縁日には多くの参拝者で賑わっている。
浅草寺から分霊された御堂。
昔は船着場で栄えてたこの地に上陸した人たちがお参りをしたんだとか。
今は小さくちょうどいい広場にベンチがあり、のどかな雰囲気です。
毎月19日が縁日で参拝者が多くなるようです。
浅草寺に祀られている聖観世音菩薩が、約1400年前に隅田川から現れて初めて納められていた場所。
その昔は、船で浅草寺に参詣する人がまずこの聖地に手を合わせたという。
遠方から浅草寺に来られた方は、昔の風習にならって立ち寄ってみてはどうでしょうか?何かご利益があるかもしれませんよ。
真っ直ぐ歩けば、雷門を正面から見ながら歩けます。
徐々に近づいてくる雷門を見ながら歩くのもなかなかです。
その景色を見た昔の人は一入の思いが込み上げたかもしれませんね。
今はスカイツリーもありますから、ロマンチックな夜の雰囲気を味わってもいいのかもしれませんよ。
〈以下、掲示されている由緒〉ご本尊ご示現の聖地「駒形堂」駒形堂は、浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩さまが、およそ1400年前、隅田川よりご示現なされ、はじめて奉安された地に建つ御堂。
昔、この辺りは船着き場で、渡しや船宿もあり大変な賑わいをみせ、船で浅草寺参詣に訪れた人々は、まずこの地に上陸して駒形堂をお参りして、観音堂へと向かった。
この御堂のご本尊さまは馬頭観音さまで、今も昔も、この地を行き交う人々をお守り下さっている。
現在の御堂は平成15年に再建されたもの。
今もこの地はご本尊ご示現の聖地として、人々の篤い信仰に支えられ、毎月の19日の馬頭観音さまのご縁日には、多くの参詣者で賑わう。
馬頭観音さまのご真言…「おん あみりとどはばうんはった」金龍山 浅草寺。
昔は、この駒形にまで浅草寺の敷地は広がっていたようですね。
ここは外国人観光客に人気で、スカイツリーと一緒に写真の中に収めるのが通だそうです。
角度によってはスカイツリーが相輪のように見えて面白いです。
駒形堂は隅田川にかかる駒形橋の傍らに建つ。
推古天皇36年(628)に浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩が宮戸川(隅田川)にご示現されたおり、この地に上陸されて草堂に祀られたという。
すなわち、浅草寺発祥の霊地に建つお堂である。
駒形堂の名の由来については諸説あるが、浅草寺の一山寺院住職の故網野宥俊僧正は、「駒形堂の地が観世音菩薩上陸の地であることから、隅田川に棲む魚類に対する愛護の必要を感じ、生物の守護仏である馬頭観音を祀り、人びとが心願成就の御礼として馬形の作り物を奉納したことが名の由来ではないか」と推考している。
駒形堂は、天慶5年(942)に平公雅によって建立されたと伝えられる。
江戸時代は駒形堂のすぐ前に船着き場があり、ここから上陸した人びとはまず駒形堂のご本尊を拝んでから浅草寺に参拝した。
堂宇の正面ははじめ川側に向いていたが、時代とともに現在のように川を背にするようになった。
現在の堂宇は平成15年(2003)に再建されたもの。
縁日は毎月19日で、ご本尊が開扉されて法要が営まれる。
特に4月19日には年一度の大祭が行なわれる。
HPより。
浅草寺の観音様示現の場所に建立された御堂ですが何度も再建されていて、現在の御堂は十数年前の物です。
ご本尊は馬頭観音様で両脇侍に聖観音様とお地蔵様がいらっしゃいます。
駒形橋の近くに有ります。
地名の由来となっなお堂、ホォトスポットでもあります。
スカイツリー・隅田川・黄金のウンコを一緒に撮影できますや!
地名の由来となっなお堂、ホォトスポットでもあります。
スカイツリー・隅田川・黄金のウンコを一緒に撮影できますや!
〔浅草寺 駒形堂/Sensoji Temple, Komagata Temple〕浅草寺のご本尊は、隅田川にて漁師が発見!その岸辺にあるのが、駒形堂です。
<馬頭 観音様をお祀り>馬頭観音様をお祀りしていますが、奉納する際に 馬の象徴である駒形(頭や尻尾)を納めたことから、駒形という地名の由来にもなりました。
<浅草観音戒殺碑(かいさつのひ)>江戸時代には、幕府により、観音様の聖地を理由に、浅草寺の周辺は 魚鳥殺生禁断の地に指定されました。
それを戒める石碑が、この戒殺碑です。
関東大震災にて地中に埋まっていましたが、その後掘り起こされたとのこと。
もともと、観音様を引き上げたのは、地元の漁師さんたち。
この規制のため、漁ができる 大森 に引っ越しました。
〔アクセス〕都営浅草線 浅草駅 徒歩1分東京メトロ 浅草駅 徒歩 6分。
浅草寺の仏様が川からあがったところいわば始まりの地。
浅草寺のご本尊が流れ着いた場所とされる地に建てられた。
江戸時代には駒形堂の周囲では鳥魚の殺生が広範で禁止され、その石板も堂の側に立てられている。
墨田側に架かる駒形橋に西詰の位置する宇堂。
浅草寺開基に関わる、いわば起原となる場所。
628年(推古36年) 江戸浦(現在の墨田川)で、地元漁師の檜前兄弟の網に観音菩薩像が掛かり、兄弟は当初川辺のこの地の槐の木の切株に安置していた。
この観音菩薩像こそ、現在の浅草寺の秘仏本尊・聖観世音菩薩像とされる。
浅草寺伽藍のひとつ。
平将門の乱で荒廃していた浅草寺を、武蔵守となった平公雅が942年(天慶5年)、浅草寺再興とともにこの地にも円仁(自覚大師)の作・馬頭観音を本尊として宇堂を建立。
その後、付近に船着場などもでき、浅草寺も人々に知られるようになり、大いに賑わってきた。
船で浅草寺を訪れる参拝者は、ここでまずこの宇堂にお参りし、観音堂(本堂)への参拝にむかい、ここに総門もあったという。
この宇堂もこれまで幾度と消失し、現在の堂は平成15年再建の鉄筋コンクリート製。
堂の向きとしてかっては墨田側に向かっていたそうだが、現在は逆っとなっている。
「駒形」の名は、本尊の馬頭観音からか。
浅草寺に訪れたなら、まずこのお堂から参拝したい。
ここからが参道の始まりなんでしょうね。
慈覚大師の作とされる馬頭観音像が本尊として祀られている。
江戸名所絵図には「祈願あるもの、賽にはかならず駒の形を作り物にして道内に奉納す」とある。
隅田川の辺、浅草寺発祥の地に建つ駒形堂。
この場所が、浅草寺ご本尊示現の所縁の霊地です。
現在のお堂は平成15年に建立されましたが、昔から再建される毎にクルクルと向きが変わったそうです。
本尊は「馬頭観世音」。
三社祭の「船祭礼」(船渡御)の際は、こちらから上陸した。
(観られなかったけど笑)Patricio Bさん。
ここは駒形堂ですが?関係の無い写真を載せないでほしい。
外国人の方は日本の地図で遊ばないで真面目にリサーチしてください。
名前 |
浅草寺 駒形堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
浅草、駒形橋近くに有るお堂ですネ。
以前のお堂は、現駒形橋西詰め道路中央で、関東大震災で焼けたそうです。
現在のお堂は、平成15年に再建された物だそうですネ。