大通りからは目立たない。
応神天皇が八幡神としてまつられているらしい。
閑静な場所にあり、落ち着きます。
御祭神 品陀和気命 武内宿禰命 息長足姫命由緒寿永元年(1182)新田蔵人太郎大炊義房(新田家本宗家三代)が源家の家憲により京都石清水八幡宮(京都府八幡市)を奉斎し、二男禅師覚義を別当職としました。
覚義が新井に住むことになり新井氏と号し、新井氏の祖となりました。
文治五年(1189)新田筑後守源若美が社殿を造営したと伝えられます。
寛文年間(1661~1673)に館林城主徳川綱吉の祈願所となり、のち将軍となっても年々供米を献じました。
上野国神明帳に「十位下新池明神」とあるのが当社といいます。
明治五年(1872)郷社に列し、神饌幣帛料供進指定神社となりました。
(「全国神社名鑑由緒」参照)境内右奥に浅間神社があります。
社殿後方に末社群。
社殿左にある祠内の石祠には、「稲荷大神・金毘羅大神・山神大神」と刻まれた石板が納められていました。
太田市指定重要無形民俗文化財「新井八幡宮の獅子舞」社伝によると、獅子舞は文亀元年(1501)新田義房の次男新井覚義二十代の裔孫新井宗貞が石清水八幡宮への参拝の途次、優雅に舞う獅子舞を見て心を打たれ京都から師を招き自らも舞って、住民に習得させたといわれています。
獅子舞は、別名、ささら舞と呼ばれ、毎年九月第三土・日に新井八幡宮境内で天下泰平、五穀豊穣、村内繁栄、怨敵退散の意をこめて奉納されます。
古くは、十月十四日の宵祭、十五日の大祭、十一月二十三日の小祭に行われ、明治初年頃までは獅子舞歌があったとされています。
舞は四種類あり、「平庭」は子ども達、「梵前かかり」、「橋かかり」、「雌獅子かくし」は主に師匠により舞われます。
三頭一人立ちの獅子で、めずらしい重箱獅子と呼ばれる頭、紺地に水玉あられの衣装をつけ、白足袋、わらじばきの姿で笛太鼓に合わせて舞います。
(「境内案内板」参照)
静かで落ち着きの有る所です。
本殿が大きな鉄骨の櫓で保護されています。
御朱印は無いとのことです。
大通りからは目立たない。
名前 |
新井八幡宮 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0276-45-3510 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
市の文化財として獅子舞が有名です。