土塁とともに小田原城の守りをより強固なものにしてい...
この土塁に沿うような形のコンクリートの道路は暗渠となった渋取川で、土塁とともに小田原城の守りをより強固なものにしていました。
太平洋戦争終結間際の1945年8月13日の爆撃でえぐれた部分が痛々しいです。
北条氏小田原城縄張りの大きさを実感する為、駅より歩き蓮上院土塁迄12分歩き、この地に立つ。
遺構は約150m程歩く道は元お堀の上、今、下は暗渠。
歩きながら元風景をイメ-ジするとその壮大さが解る。
小田原城を囲んでいた土塁ですが、見られる場所は全て見尽くして総仕上げに見にきました。
改めて、その大きさに驚かされました!!こちらの土塁の一部は、第二次大戦の戦争遺跡になっております。
住宅地の為、車より徒歩がいいです。
普通に観光ではたどり着けない場所だが位置登録ゲームで案内されて訪れる。
城好きでないと理解出来ない価値なのでしょう。
住宅地に位置しており何か土手がある?ぐらいのものなのでしょうけど模擬天守より興奮。
豊臣の小田原攻め対策の土塁であり水堀を挟んで北条氏と親戚にあたる徳川が対峙していた。
天守位置から考えても当時の小田原城の広さを感じ取る事が出来る。
小田原城惣構土塁。
壕跡は暗渠と住宅地。
ちょっとわかりづらい場所にあるのですが小田原の総構のことをわかるととても楽しくなる場所です。
立っている場所が昔堀だったとよくわかります。
良く見ないとわからないです。
名前 |
蓮上院土塁 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/castle/p10002.html |
評価 |
3.6 |
小田原北條氏が気づいた総構の一部です。