駅の真裏にこんな立派な古墳が!
宇土墓と呼ばれる垂仁天皇第2皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の陵墓とされてます。
五十瓊敷入彦命は近くの船守神社の御祭神です。
古墳の周りのお堀には水鳥が沢山生息してます。
淡輪駅の真横で昔から気になってましたが、初めて近くまで来れました。
一部を除いてぐるっと一周でき、造出も観察できます。
水鳥がたくさんいる、形のきれいな古墳です。
駅のすぐ南側にあります。
車で来られる方は駐車場は無いようでした。
蓮だと思うのですが周濠いっぱいにあり花が咲いていました。
周濠の周り半分は道路があり、とても見学しやすいです。
淡輪御陵古墳。
淡輪の駅から見えるあの森は何?と思っていたら古墳でした。
駅側から見える木々には鵜が止まっています。
周辺の木々は枯れているので、鵜がよく見えます。
古墳の周りの池には睡蓮が咲き、駅側の池にも鵜がいっぱいいました。
電車の窓から気になっていた宇度墓古墳に。
淡輪駅から繁る木々が見え、鳥のにぎやかな鳴き声が聞こえます。
まわりは柵で囲まれていて入ることはできませんが、古墳に沿って歩くことができました。
畦道沿いは燕が何羽も飛んでいたり、亀が甲羅干ししていたり、のどかな感じがしました。
また、睡蓮や黄菖蒲の花が咲いていて綺麗でした。
ゆっくり歩いて1周だいたい15分くらいなので散歩に良いかもしれません。
古墳には後円部を取り囲むように陪塚6基があるそうですが、わかりませんでした。
*2019年5月3日、淡輪駅で降りてみさき公園駅まで、歩いて岬町の淡輪古墳巡りをしてみました。
案内の看板がたっているのはまだましで、太陽光発電のソーラーパネルに変わっていたり、工事車両や資材置き場になっていたり、燦々たるありさまでした。
全般的に手入れがほとんどされておらず、古墳が町に大切にされていないのがよくわかりました。
宇度墓古墳…○淡輪遺跡…畑鴻ノ巣古墳…民家西小山陵古墳…太陽光発電西陵古墳…○真鍋山古墳…工事車両・資材置き場。
墳丘長173mの前方後円墳、築造時期は5世紀中-後半頃の西暦440年-460年頃と推定。
以下、ウィキペディアより。
「宮内庁により「宇度墓(うどのはか)」として第11代垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命の墓に治定」 「岬町の大型古墳群(西陵古墳・西小山古墳・淡輪ニサンザイ古墳)では円筒埴輪に独特の技法(淡輪技法)が見られるが、同様の技法は和歌山平野の木ノ本古墳群(和歌山市木ノ本)にも見られることから、淡輪古墳群は紀伊勢力(紀氏)との強い関わりの中で成立したと考えられている」 ̄o ̄)/この古墳の埋葬者、きっと海からよく見える場所に古墳を造りたかったんだろうな。
淡路やもしかすれば神戸あたりからも見えていたのかもしれない。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「宇度墓(うどのはか)」として第11代垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命の墓に治定されている。
名称は「宇度墓古墳(うどはかこふん)」とも。
墳形は前方後円形で、前方部を西南西方に向ける。
墳丘は3段築成。
墳丘長は現存で173メートルを測るが、後世に削られており、築造時点では約180メートルであったと推測される。
外部施設として、墳丘南側・北側の両くびれ部には方形の造出が認められる。
墳丘表面には葺石が葺かれ、加えて須恵質の円筒埴輪列、家・盾・キヌガサ・鳥などの埴輪が認められている。
埴輪の一部は淡輪独特の技法を有し、それらは「淡輪系埴輪」と称される。
内部施設(埋葬施設)は明らかでない。
墳丘周囲には周濠が2重に巡らされている(現在は1重目のみ残存)。
この周濠付近の後円部外周部分には陪塚7基が分布し、うち6基が現存し主墳同様に宮内庁の管理下にある。
この淡輪ニサンザイ古墳の築造年代は、出土埴輪から5世紀中-後半頃の西暦440年-460年頃と推定されている。
5世紀中頃に限って築造された淡輪古墳群の大型古墳3基(西陵古墳・西小山古墳・淡輪ニサンザイ古墳)のうちでは、西陵古墳に次ぎ西小山古墳と同時期の築造で、本古墳の築造をもって当地での大型古墳の築造は終焉する。
これら岬町の大型古墳群では円筒埴輪に独特の技法(淡輪技法)が見られるが、同様の技法は和歌山平野の木ノ本古墳群にも見られることから、淡輪古墳群は紀伊勢力(紀氏)との強い関わりの中で成立したと考えられている。
遥拝所は西側にある。
周濠はびっしりと蓮の葉で覆われていた。
駅の真裏にこんな立派な古墳が!規模の大きい古墳でしたわ。
名前 |
淡輪ニサンザイ古墳(垂仁天皇皇子 五十瓊敷入彦命 宇度墓) |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-492-2715 |
住所 |
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評価 |
4.4 |
駅のホームから日本の歴史を感じられます。
感動しました。