墳丘は自治体によって管理されている。
スバラシイ古墳です。
下市・岡峯古墳県指定文化財・岡峯古墳は吉野川左岸の北向き斜面の丘陵上、下市町阿知賀にあります。
阿知賀と云う地名は最近アニメでも知られるようになったそうです。
さて岡峯古墳、日本最古の唐草文様の環頭太刀を出土した事で知られていますが、石棚付石室を有している点も特徴的で、奈良県下では対岸の大淀町・槇ヶ峯古墳と平群町・三里古墳の3例しか検出されていません。
この古墳を造営した豪族ですが、石棚付石室を備えている古墳は和歌山県の紀ノ川下流域の石橋千塚古墳群に濃密に見られる古墳造営様式である事から、神別氏族・紀国造家の影響が吉野川筋を通じてこの地域に及んでいたと考えられます。
※平群町・三里古墳は地理的にかけ離れて所在しますが、三里古墳のすぐ西に式内名神大社・平群坐紀氏神社が鎮座し皇別氏族・紀氏を祀るお社で、神別紀氏と皇別紀氏は武内宿禰を通じて繋がりがあります(武内宿禰の母親が神別紀国造家の娘、武内宿禰の子供の1人が紀角宿禰でその兄が平群木菟宿禰)。
もう一つの特徴に古墳の開口方向が有ります。
一般的な古墳は大体南向きに開口している例が多いのですが、説明書には西に開口していると記載されています。
しかし、実際は西北西・方位292.5°方向に開口しています。
この開口方向延長上には金剛山(古代の葛城山)があり、開口方向に被葬者の属性を見出そうとする論者はどのような論を立ててくれるでしょうか?因みに、金剛山の麓には紀国造家の支族である逢坂氏や、楢原氏が蟠据していました。
墳丘は自治体によって管理されている。
普段は鍵がかけられていて町教委の方の立ち合いのもとで見学できる。
天井石は緑泥片岩の巨石4枚、石室は緑泥片岩の割石積です。
緑泥片岩1枚の石棚が1.4mの高さに設けてある。
石棺は緑泥片岩の板石で出来ていて棺底には板石はない。
紀氏の影響を感じる後期古墳です。
大刀が出土しました。
下市観光文化センターに出土物が展示されています。
2F下市町立図書館横です。
1Fにもぱらぱらと離れて下市町関連の展示があります。
名前 |
岡峯古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
ちょっとよってみました🙄人家のあるなか何気なく有りましたが宝物もでたそうで暗い穴が不気味でした。