「楠公八臣」のひとり、恩智左近満一さんのお墓です。
「楠公八臣」のひとり、恩智左近満一さんのお墓です。
恩智左近と明治の若者たちの眠る場所。
南北朝時代楠木正成、正行親子に仕えた河内の武将の墓。
その横には西南戦争へ行って帰らなかった若者達。
皆、一様に「大阪鎮台」「兵卒」とあり明治10年「行年廿○」とまだ二十歳前半の青年である。
近隣、「志紀」「西弓削」「渋川」「高安」などから。
「明治十年○月、肥後国二俣村ニテ負傷、長崎病院ニテ死ス、行年廿二」「筑後国鍋田村ニテ負傷、久留米病院ニテ死ス、行年廿三」などはおそらく何らかの手当てを受けて誰かに看取られて逝ったであろう若者もいれば、「明治十年、三月四日、肥後国、田原阪ニテ戦死、行年廿二」田原坂での戦死が多い。
一瞬わかりにくいですが見晴らしもよくて気持ちいいです。
道路沿い石碑が有り、横の細い道を登ると右に有ります。
お墓に来る前に、恩地城址も見学しましたが、ほぼ公園かな?、面影ぐらいは在るのかな?。
恩智左近満一は恩智神社の社家の出で、この地の豪族として恩智城を築き、楠木正成方に味方した八臣の一人である。
湊川の戦の後は、その子正行を助けて南朝方を守ったが不幸にして延元二年(一三三七)七月熱病のため急死した。
傍の墓碑十六基は明治十年の西南戦争に官軍として従軍し、戦死した中河内近在の人々の墓である。
【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】*恩智左近の出身地などについてはいくつかの説があります。
名前 |
恩地左近の墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
墓のない人生は儚い。