「車返しの楔」昔、この付近に明治初年廃寺となった慈円寺という津守家の菩提所があり、庭の主は 「車返し」と呼ばれ、江戸時代の地図や 名所案内にも記される住吉の名勝であった。
住吉大社は古くから天皇家の崇敬が篤く特に南北朝の後醍醐・後村上長慶三の ころは、後村上天皇がこの南に現在国指定史跡としてのこる「正印殿跡」を住吉行官とめるなど、朝廷との関係は密接であった。
車返しの由来は、後醍醐天皇が住吉大社にお越しの折の桜をご覧になり通り過ぎて再びお車を返して愛でられたとの故事による。
櫻も今は失われたが、夜醍醐天皇の と、その守り続けたこの里の祖先の心 遠い昔の歴史を偲び、それを未来に伝えるた 平成十一年大阪市の「未来」としてここに京都の八枝を移した ものである。
後醍醐天皇の住吉行幸に際し桜花の余りの見事さに御車を引き返されて鑑賞した故事にて名付けられた。
名前 |
車返しの桜 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.3 |
★おもかる石を目指していたら右手に見えます★