七観山古墳の跡地に、展望施設として復元されたもので...
復元とはいえ、建造時と原状とを比較できるのは、面白い。
また、ここからの履中陵の眺めもいい。
古墳だったんですね。
展望のために造られていると思ってしまいました。
七観山再現古墳。
大仙公園の周回道路の外側、履中天皇陵の北側に、人の手が入った要塞のようにあります。
整備されており墳丘?にも登れます。
貴重な出土品が多く、堺市博物館に多数展示されています。
履中天皇陵古墳の陪塚で後円部北側にあった径約50mの円墳。
円筒埴輪・形象埴輪、多量の鉄製武器・武具類、鉄鏃・鉄斧・馬具、滑石製勾玉など多種多様の出土品は履中天皇陵古墳の年代考察の重要な資料となっています。
履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)の後円部北側にあった円墳で、その陪塚と考えられます。
墳丘は径約50m、高さ約8mの二段築成で周濠もありました。
葺石と埴輪があり、墳頂部には鰭付円筒埴輪をならべた埴輪列がめぐっていたようです。
家・短甲・蓋(きぬがさ)・靱などの形象埴輪も出土しています。
出土した遺物は鉄製甲冑・鉄製素環頭太刀・鉄刀・蛇行状鉄剣・鉄剣・鉄鉾・鉄鏃・鉄斧・手斧・やりがんな・金銅製帯金具・馬具など多種多様で、ほかに滑石製勾玉や剣形鉄製品が採集されています。
また衝角付冑7鉢、短甲6領以上、鉄刀130口前後、鉄鏃百数十本など多量の鉄製武器・武具類が特徴です。
これらの出土品は履中天皇陵古墳の年代を考える重要な資料ともなっています。
七観山古墳の跡地に、展望施設として復元されたものです。
当時の古墳の形を再現してあって、実際に登ってみることができ、ここから眺める履中天皇陵の姿はなかなかのものです。
This ancient tomb is a thing made by restoring the state of the ancient tomb at the time.You can climb to the top, so you can imagine the scenery of the ancient Japan tomb period while watching the tomb of Emperor Richu.
この古墳だけ雰囲気が違うと思ったら再建されたものだったようです。
古墳に登る体験が出来るのは再建ならではでしょうか。
南陵を少しだけ俯瞰で見る事が出来ます。
手を入れすぎて、古墳は、要塞と化したという例。
ありゃー、今まで「お山」と表示されていて単なる見晴らし台かと思っていた。
近くに案内板も無かったけど、手を加え過ぎじゃーないの! う~~む??調べたら、七観山古墳は円墳で鉄製甲冑や大量の武器類が出てきたけど遺物は見当たらず上石津ミサンザイ古墳の陪塚と考えられる。
七観山古墳(しちかんやまこふん)元々は直径56mの円墳、築造時期は5世紀と推定。
消滅古墳であるが、円墳を模したモニュメントがあり周囲の広場と合わせて子供たちの遊び場になっている。
七観山古墳からは大量の武器、武具が出土しており、馬具の鐙は国内で最古級とされている。
また、帯金具などは韓国慶尚北道で出土されたものと酷似しており、当時の中国・朝鮮から最先端技術を取り入れようとした姿が伺える。
かつて七観山古墳という円墳があった場所に同規模で再現された築山です。
同古墳からは大量の鉄剣や甲冑などが出土しました。
人が埋葬されなかった可能性もあるようで、陪塚とされる古墳の在り方を示す貴重な一例です。
ちなみにこの七観山古墳、上石津ミサンザイ古墳の陪塚という説が有力です。
▪惜しいことに、 戦後復興期終盤の1952年に、 人為的に消滅させられました。
▪いま存在しているのは、後年、 記念碑的モニュメントとして 原寸大に復元された築山です。
▪レプリカ的な価値も、ほぼゼロ。
▪被葬者や出土物にさほどの関心 興味がなく、「墳丘・墳頂に登れ て、眺望できる」古墳の体感に 価値感を抱く、超亜流の傍流系 古墳ファンの方のみにしかお勧 めできません。
名前 |
七観山古墳(復元) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
消滅後の七観山再現古墳のようです。
大仙公園の周回道路の外側、履中天皇陵の北側に、宇宙戦艦ヤマトの都市帝国みたいな要塞のような感じで再現。
展望台として整備されており墳丘?(やないね…これは)にも登れます。
かつての古墳からは、金製品などの成金的な貴重な出土品が多く、副葬品のみを納めた古墳であったようです。
出土品は堺市博物館に多数展示されていました。
古墳として見たらアウトかもですが、展望台としては…これが中々良かったのです。