平城宮跡の南東に設営された公園。
朱雀門から約800m東に向かったところにある無料の庭園。
称徳天皇の時代に作られたとのことで、庭園はL字型の池を中心に宴会や儀式を行ったと言われる建物がある。
入口の遺構展示館では、発掘調査で見つかった遺構をそのまま見ることができる。
平城宮跡の東端に位置します。
発見された東院の庭園遺跡が復元されたものです。
古代庭園として特別名勝に指定されています。
JR奈良駅からタクシーで行ってきました。
9時の開門と同時に入ったので、美しい庭園を独占して古の大宮人をしのびましたが、入場無料は有難すぎます。
入れ違いにペットを連れた方がこられましたが、一緒に入ることはできません。
平城宮跡の南東に設営された公園。
静かに古の奈良をしのぶことが出来る場所です。
大極殿などの主要な復元建築からかなり離れていますが、わざわざ足を伸ばすだけの価値があると思います。
無料で見学できます。
平城宮跡歴史公園の東にある特別名勝 平城宮 東院庭園。
中央に池があり、奈良時代は周辺にいくつかの建物があり、称徳天皇は「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催したとされています。
東院庭園は、2010年に文化庁文化財より特別名勝に指定。
開園時間は9:00~16:30(入園は16:00まで)、入園料は無料。
前には自転車置き場があり、サイクリングの方が多い感じです。
平城京跡の端っこの方にある。
今まで気がつかなくて初めて入りました。
無料で人が少ない。
ゆっくりできます。
日本最古の庭園を復元。
日本庭園とはまた異なる静かさを感じます。
是非ともオススメの庭園です!殆ど訪れる方が少ない様子。
無料で建築の出土品や歴史も入り口で学べます。
もう少しアクセスを整備すれば‥とても勿体なく感じます。
静かで池が美しく建物を映してくれて、心安らげるお庭でした。
「朱雀門ひろば」からだと徒歩で約15分程で近くに駐車場もあります。
日本最古級の庭園ですが大きく2期に作庭されていて当初は単純な逆L字の池だった事が調査で判明していますが面白味に欠けるからか復原せず平安時代の庭を想像させる2期目で復原されています。
藤原氏が全盛期の平安時代中期の寝殿造に伴う日本最古の作庭書の「前栽秘抄」を参考に復原されているようで第一次大極殿の展示でも出てくる青龍や白虎が此方の庭園にも当てはまるので予習して訪れると面白いと思います。
この柳はそうだったのね!
◽アクセス①近鉄大和西大寺駅 奈良交通バス. (12系統/奈良線) JR奈良駅西口行. 法華寺下車︰徒歩9分②JR奈良駅・近鉄奈良駅 奈良交通バス. (西大寺駅行) 法華寺下車︰徒歩10分③近鉄奈良駅・大和西大寺駅. 「ナコーレンタサイクル」 (奈良交通). 普通車/800円・電動アシスト車/1200円◽入園ガイド▪入園料 ︰無料▪開園時間︰9:00〜16:30 (入園16:00迄)▪休園日 ︰月曜日、年末年始▪駐車場 ︰あり◽東院庭園▪東院庭園は平城京での宴会や儀式を催. すために造られた奈良期の庭園です。
▪1967(昭和42)年、平城宮東張出の南東. 部で庭園跡が発見されました。
▪発掘調査の結果、東西80m/南北100m. の敷地に州浜敷の池が設けられ、周囲. に建物が配されていたことが判明。
▪1993(平成5)年から5年を費やして復原. 整備され、2003(平成10)年に東院庭園. として一般公開されました。
◽東院庭園データ▪庭園様式︰池泉回遊式庭園▪発掘調査︰1967(昭和47)年▪名勝指定︰2010(平成22)年 特別名勝◽日本庭園の原型▪平城京左京三条二坊 宮跡庭園と並ぶ. 古庭園として高い価値をうける庭園. です。
◽東院▪平城宮は東の張出し部を持ち、この張. 出し部南半分を孝謙・称徳天皇の時代. とくに 「東院」 と呼ばれていました。
▪称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、. 宴会や儀式を催しました。
平城宮跡のサブスポット平城宮跡はだだっ広い公園になっていて、建物は近年に再現されたもの。
なので、寺院を体験するには、間近にあるこちらがおすすめ。
地味なものの、静かに水が流れていて、なかなかサブスポット。
朱雀門広場からてくてく歩くこと1.2kmほど。
途中に多数の建物や柱の跡を見ながら近鉄線の線路を跨いではるか右手に長い土塀が見えてきます。
日本庭園の元祖とされる庭園で、プリミティブながら美しい水源のある小川から池に流れ込む水も美しく、見応えがあります。
月曜休館。
そこから法華寺や宇奈多理人時も徒歩で足を伸ばしたらすぐ行けますよ。
無料。
資料館も無料。
8cの華麗な宮殿を再現。
今まで見学した庭園とは趣が異なり、楽しむことができました手入れされており、この美しい庭園が無料で拝観できるのはありがたいです・・・
昭和42年(1967)の調査で、平城宮東張出し部の南東隅に大きな庭園の遺跡が発見されました。
この張出し部の南半は、奈良時代を通じて東宮と呼ばれていたようですが、第46代及び第48代・孝謙、称徳天皇の時代には「東院」と呼ばれていました。
当時の孝謙、称徳天皇をはじめ、天皇や皇室がこの庭園で宴を催していたと言われています。
訪:2020/06/25
平城京時代の仏教は観想念仏観想とは、瞬時に極楽浄土を頭の中で連想できるくらい常に思っている必要かあるという教えのことだから昔の仏教は金が膨大に必要だった庶民では極楽の風景は思い描けない貴族だけが、ここの庭園のような、極楽浄土を具現化した風景を毎日眺め、観想し成仏できると信じていた清らかな水の流れと池池に張り出した屋敷これがこの時代の人々が思い描いた極楽浄土だったのちの時代専修念仏が説かれ南無阿弥陀仏が広く伝えられるようになり仏教が大衆のものとなるのは別の話。
日本庭園の原点、流ショウ曲水の宴をこんなところでやったのね‼と思いました。
わりと古くからある平城宮跡内の史跡公園です。
平城宮跡でサッカーやらできた頃は、ここが唯一天平を感じられる所でした。
でも、そんなに古さを感じない、きれいな庭園です。
無料がいいですね。
無料で案内してくれるおじさんが何人かいらっしゃいました。
私が行ったときは、藻の駆除のために池の水を全て抜いていたのであまり楽しめませんでしたが季節がよければ綺麗だと思います。
法華寺に寄ってから大極殿へ向かおうとしたらこの施設が有りました。
バスの車窓から大きな塀が見えていたので気になってはいたので中に入りました。
建物に入るとボランティアガイドの方が親切に説明をしてくれました。
この場所は元々は平城京外と考えられていたが。
発掘の結果として平城京の飛び出した一部と認定された。
現在は池が作ってあるが、この層の下にはもうひとつの池があり、古い池はただの池、現在復原されている池は島がつくられている。
池も少しずつ進歩している。
この庭園に入ることが出来たのは三位以上の人だけで、山を見ながら、池を見ながら、花を見ながら酒を酌み交わしたのだろう。
平城京の中の高級リゾートだったのでしょうか。
無料で入れる庭園です。
ほとんど人がいない静かな場所でした。
シンプル•イズ•ベストというか余計なものは一切ない庭園だ。
初めて訪れた人にはあっけない印象を与えるかも知れない。
しかしこの庭園で天皇や宮廷人たちが、宴会や儀式を催していたのだ。
その現場を思い浮かべ、もう一度庭園を見渡せば、また別の印象を受けるに違いない。
名前 |
東院庭園 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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「奈良市:東院庭園」写真は2022年11月に撮影したものです。
庭園の入り口には資料館があり、いろいろな遺跡を見ることができました。
当日はボランティアガイドの方から詳細は説明を受けることができました。
聞いた話を以下に簡単にまとめます。
1967年、平城宮東張出し部の南東隅に大きな庭園の遺跡が発見されました。
この場所は『続日本紀』にみえる「東院」にあたることから「東院庭園」と命名されました。
それまで奈良時代の庭園については古い文献からその様子を想定するのみでしたが、この発見を契機に発掘調査をした結果、庭園部分とその周辺一帯の様相がほぼあきらかになりました。
この庭園の大きさは東西80m×南北100mの敷地の大きなもので、中央に複雑な形の汀線をもつ洲浜敷の池を設け、その周囲にはいくつもの建物を配していたことが確認されました。
平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張出し部を持ちます。
この張出し部の南半は、奈良時代をつうじて「東宮」とよばれたようですが、孝謙・称徳天皇の時代にはとくに「東院」とよばれていました。
その称徳天皇はこの場所で、宴会や儀式を催しました。
最近の研究では、光仁天皇の「楊梅宮」はもとより、聖武天皇の「南苑」もこの場所を中心として営まれていたとする説もあります。
いずれも発掘された「東院庭園」と深く関わる施設ではないかと思います。
復元の規模もレベルも大変高くて驚きの場所だと思います。