先だってお世話になった龍ヶ崎の‘来迎院’さんのご住...
お寺はすごくご立派で、きれいに手入れされています。
御朱印はコロナウイルスの為✗
お墓参りに行きました。
桜がきれいでした。
穴場かもしれないです。
静けさがあるお寺。
その大きさにびっくりした。
郷土かるたにある。
薬王院 入母屋造りの 大本堂こんな近くにこんな凄い建物があったなんて!
桁行7間 梁間5間という非常に大きな規模である国指定重要文化財【薬王院本堂】は見ているだけで心が落ち着いてきます。
1月7日 雪が積もった中 薬王院 で 院 内 撮影してみました 雰囲気のある 佇まいで 撮影していても 身 体 引き締 る 感じです 雪など めったに 降る ことがないので このような景色は初めて見ました。
歴史ある素晴らしいお寺。
盆や彼岸によく駐車禁止の場所に駐車する馬鹿どもがいますのでご注意を。
私が訪れるきっかけとなったのは、先だってお世話になった龍ヶ崎の‘来迎院’さんのご住職のお陰です😊。
水戸から来たことを告げると、同じ天台宗の‘薬王院’さんについても教えて下さいました🙇。
目から鱗‼️😲とは…。
地元にいながら、大変恥ずかしくなる程立派なお寺さんでした😯👏。
茨城県にも、緊急事態宣言出てしまった😵💧ので、御朱印は頂けて無いですが…🥺。
早くコロナが収まってくれたら…(pq゚∀゚*○)良いですね👍️自宅から遠くないので、また行きたい❗お寺さんの1つになりました🙆
吉田神社から歩いて10分程、茅葺きの山門があります。
緑が綺麗です。
吉田の誇り。
街中にあるわりには静かで、とても素晴らしいお掃除のいきとどいたお寺さんです。
この寺院は、天台宗の古刹で ここの本堂は 国の重要文化財になっています。
ただし1年に一回しか 御開帳しないので、堂内を見た事がありません。
入口の仁王門は、萱葺きの 趣のある 立派な造りです。
圧倒されるような雰囲気。
紅葉も美しいですが桜の頃も素敵なのだろうなと思いました。
素敵な御朱印を頂いてまいりました。
感謝。
「麒麟がくる」の時代にタイムスリップ!
ご先祖様が多くここにいます。
気持ちが落ち着く場所です。
静かで幻想的な空間です。
大銀杏が見事です。
お彼岸、お盆、故人の命日とお世話になっています。
お盆は駐車スペースが狭く込み合います。
とても静かな場所です。
すごく古くてびっくりした。
素晴らしい御寺さんでした。
ありがとうございました!
県道180号線「薬王院前」バス停の向かいの一本道を入っていくと、住宅地の中に茅葺き屋根の風格ある仁王門が見えてきます。
まるで京都の門跡寺院を思わせる佇まいの境内は広々として緑が深く、ここだけ違う空気が流れているようです。
宗派は天台宗青蓮寺派、公家から嫁いできたという徳川光圀の正妻泰姫の菩提も弔われたという由緒あるお寺です。
仁王門の正面に見える本堂(室町期再建)は国指定重要文化財、本堂内の薬師如来坐像(平安時代作)や十二神将像(南北朝時代作)、仁王門(江戸期)は県指定文化財だそうです。
本堂は残念ながら普段は閉まっており、毎年4月8日の花まつり(御釈迦様の誕生日)と5月最終日曜日(お田植祭)に一般公開されるとのことです。
境内の説明板によると開基は平安時代初期(800年頃?)に遡り、桓武天皇の勅願で伝教大師(最澄)が創建したとのこと。
天皇により地方に作られたお寺といえば奈良時代の国分寺が浮かびますが(茨城では石岡にありました)、桓武天皇は奈良の寺院の影響力を排するために都を平安京に遷し、最澄や空海を登用して天台宗などの新仏教を支持し、地方政治にも力を注いだことで知られています。
各地に作られた勅願寺もそうした改革の一環だったのでしょうが、それにしてもなぜこんな場所に?と、現在の水戸市の中心部からは離れているので不思議に感じます。
しかし当時は勿論水戸城もまだなく、常陸三ノ宮でもある吉田神社(創建は490年ごろと言われている)のあるこの台地が、この辺りでは一番有力な土地だったのでしょう。
鎌倉時代初期からは吉田神社の別当寺となり「吉田神社神宮寺薬王院」と称したそうです。
代々の領主の庇護を受けて次第に独立した力を持つようになり、室町時代に本堂が焼け落ちてしまった際も当時この地を治めていた江戸通泰により直ちに再建されました(1529年)。
尚、佐竹氏の時代に一時真言宗に変えられたそうですがすぐに復されます。
江戸時代に入ってからは水戸徳川家の菩提寺となり別当職も廃されますが、光圀は本堂の解体改築修理を行い「土間床の禅宗様建物の如き姿に模様替え」してしまったそうです。
幕末になると神仏分離の風潮の中、藩主斉昭により境内にあった泰姫と亀千代丸(光圀の兄)の遺骨が瑞龍山に移され、その後は不遇の時代を迎えます。
明治13年の大火災により「本坊を焼失し 古文書および寺宝等悉く灰燼に帰し、寺院の財力は窮乏し 老朽破損の極みに至った堂宇の抜本的修理が出来ないまま、幾星霜 焦燥の思いで一日も早く完全な保存修理のなることを緇素(しそ)共々念願しつつ、応急修理をもって歴代維持に努めてきた」と、並々ならぬ苦難の歴史が境内片隅の石碑に刻まれていました。
そして戦後、国や県の文化財に指定されたことで補助金の交付を得ることができ、昭和43年から大修理に取りかかったとのこと。
この時も補助金拠出の陳情から工事運営、資金勧募まで相当苦労したようです。
尚、この大修理によって本堂は光圀が改築した禅宗様式から元の姿に改められ、「享禄2年(1529年)建立の堂宇を拝することが出来た」と書かれています。
水戸藩の菩提寺という位置付けだったとはいえ、実は光圀との関係は複雑なものだったのかもしれません。
境内やお庭も寺格にふさわしいものに整備され、昭和51年落慶式を迎えたそうです。
例年花まつりの日は桜の満開とほぼ重なり、境内のしだれ桜が見事です。
尚、花まつりの日は本堂には入れますが御本尊の薬師如来坐像の扉は閉まったまま。
御本尊は一年に一度、5月最終日曜日(夕方4時ごろから)のみご開帳とのことです。
本堂には他に十二神将像や、朽ちかけた一木造りの三体の仏像(平安仏三体)などが安置されており、それらはかなり近い位置から拝観することが出来ます。
実は平安仏三体は「伝教大師(最澄)自作」の裏書があるそうですが、最澄本人がこの辺りまで実際にやってきたという記録は残っていないそうです。
三体とも老朽化が激しく輪郭も危うい状態になってきていますが、もし裏書きが本当ならば、本堂にある仏像の中で一番価値があるのはこの朽ちた仏像でしょう。
普段は文字通り閑散としているので、入るのがためらわれるかもしれません。
観光地化とまでは言いませんが、もう少し開かれた雰囲気の寺院にして頂かないと勿体ない気がします。
イチョウが綺麗。
趣があり落ち着きます。
大好きな薬王院。
春の桜と秋のイチョウなどとってもいいですよ。
お釈迦様に甘茶を・・・かわいいお土産をいただいて。
ありがとう。
毎年言ってます。
今年行きました、八年前にも来たことがあります。
名前 |
吉田山 藥王院(天台宗) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
029-247-6266 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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吉田神社の神宮寺として吉田山に在する古刹です。
本殿の巨きさに圧倒されます。