いにしえの戦国ロマンに一時浸れる城跡。
歴史だよね。
富士山がよく見えた。
2021年1月17日行って来ました。
行き方などは高天神城跡の方を見て下さい。
こちらは写真と動画の投稿です。
初めてきました。
戦国の城で結構有名だけど小規模に感じました。
遠州地方の最も重要な城郭だとうなずける城跡です。
遺構も残っていますが保存状態が良いとも言い切れないかな。
戦国史上貴重な財産なのでこれ以上状態が悪くならんようにしてください。
徳川家康支配下で小笠原長忠が城主であった高天神城にあって軍監大河内源三郎政局が詰めていた曲輪。
城主小笠原長忠が投降した後も大河内源三郎政局は城内に留まったことから武田勝頼の怒りを買い、約8年間に渡り本丸下の石窟に幽閉されたという。
神社にお参り後 早速ご利益があれば三の丸北側の砦の説明板から富士山が見えるかも?!
いにしえの戦国ロマンに一時浸れる城跡。
一度行ってみたかったので行けて良かったです。
いい運動にもなりました。
難攻不落。
名将岡部丹波守元信の最後の地です。
鳴海城城主の山口教継親子が織田家から今川家に寝返ったものの結局粛清された後、岡部丹波守元信が駿河から新たに城主として送りこまれました。
岡部丹波守元信は忠勇溢れるだけでなく、当時の海運事業にも通じた名将・名臣で、鳴海城の城主にうってつけの人物でした。
桶狭間の戦いの後に勢いに乗る織田信長が戦場等付近一帯の掃討作戦の一環として、鳴海城の開城・退去を求められた際には、今川義元の首級を代替に要求するなど豪胆にして忠義に厚いところを見せています。
武田家に仕えた後は、同じく海を睨む要衝高天神城を任されますが、最後は討たれてしまいました。
もっと評価されるべき人物でしょう。
名前 |
本丸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
山の山頂なので眺めは良いです。