何やらモダンなプロンズ像があり誰?
生國魂神社内にあります。
この彫刻は、生誕百年記念の平成25年、オダサク倶楽部の建立した像と碑です。
碑文では、大阪を愛して太く短い生涯を33年で終えたこと、庶民の生活を題材にした「夫婦善哉」等の著作、井原西鶴を師に仰ぎ、ジュリアン・ソレルを友として、上方文化の発展に大いに寄与したことを顕彰しています。
また、「木の都」から「・・・生國魂神社の境内の巳さんの棲んでいるといわれて怖くて近寄れなかった樟の老木があった・・・」との一文が引用されています。
ちなみに、「巳さん」は蛇のことで、みーさん、みいさんと読みます。
子供のころ、神様のお使い、または神様として大事に扱うように、子供のころ婆さまからさんざん言われました。
とくに、白い蛇は別格扱い。
まず、普通に歩いてて出会うことはないが、万が一にでも出会ったなら、「絶対に捕ったりいじめたりしてはいけない」。
「樟」は、くすのきと読み、タンスにいれる虫よけの樟脳の原料。
楠(これも、くすのき)とは、ちょっと違う木、とwikipediaに書いてありました。
ジュリアン・ソレルは、小説「赤と黒」の主人公です。
何した人かな。
昭和初期の小説家 織田 作之助(おだ さくのすけ)の像。
通称おださく大阪を舞台に書かれた作品が多く、有名作は「夫婦善哉」
生國魂神社の境内の中、井原西鶴像を探していたら、何やらモダンなプロンズ像があり誰?と思いましたが、(夫婦善哉)と聞き成る程感が出ました。
この近くで生まれ育った事から最近建てられたようです。
小さい像です。
大阪上町台地を子供のころから散策していた織田作之助にとって生魂さんは庭みたいなものだったろう。
今でも上町台地は大阪人の懐かしいふるさとのようなものである。
どこを歩いても郷愁を感じる。
彼の銅像があるのも当然だろう。
「生国魂神社の境内の、巳さんが棲んでゐるといはれて怖くて近寄れなかつた樟の老木.....」と小説「木の都」の一節にある。
昔はもっと木々が生い茂っていたのかもしれない。
突然、思わず、銅像が歩き出したらと想像してみた。
生玉神社境内にある歴史を感じる。
像の前のベンチに座って木の都を読んでみる。
濃厚な大阪の匂いを放つ作品を数々残した織田作之助。
生玉さんの境内に立つこの像は、なにかふうわりと軽くて洒脱でちょっと寂しげでもあり、とても好きだ。
大阪市南区生玉前町生まれ。
1935年12月、青山光二、白崎礼三らと同人雑誌「海風」を創刊。
1940年4月に、『夫婦善哉』をその「海風」に発表。
改造社の第一回文芸推薦作品となる。
1941年に満里閣より刊行された『青春の逆説』は発禁処分を受ける。
他に『聴雨』『木の都』『世相』など。
また、ラジオ・ドラマやシナリオも手がけ、1944年「映画評論」に掲載された脚本『四つの都』は、「還って来た男」(監督・川島雄三)として松竹で映画化されている。
1946年8月、読売新聞に『土曜夫人』を連載開始。
しかし喀血し中断。
翌年1月10日、東京病院で死す。
出世作となった「俗臭」「夫婦善哉」をはじめ、「競馬」「世相」など短編を得意とした。
また出身地である大阪に拘りを持ち、その作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれていることが特徴である。
名前 |
織田作之助像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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大阪を強く愛した男ですね。