西美濃33観音霊場の札所として訪問。
西美濃三十三霊場第二十九番礼所となっています。
西美濃33観音霊場の札所として訪問。
お寺は街中のこじんまりとした佇まいであまりこれと言って特徴は少ないが、ご朱印を頂くときに祈祷と説法を頂けた。
とても丁寧な対応に頭が下がる思いでした。
ともするとスタンプラリー気分に陥りそうなご朱印だが、本来の意味や意義に思いを新たにさせていただきました。
こじんまりとしたお寺です。
御朱印は書いていただきましたが、セルフで押すようにもなっていました。
文珠寺(もんじゅじ)は岐阜県大垣市錦町にある高野山真言宗の寺院で、山号は白光山。
大垣藩ゆかりの寺院であり、大垣城の鬼門の位置に立っている。
西美濃三十三霊場29番札所。
大垣藩の藩祖戸田一西が武蔵国鯨井の領主であったときに懇意となった瀧澤小源太という武士がその後出家して僧となり、近江国大津に移って弥勒院という寺で秀賢を名乗っていた。
戸田氏西が近江国膳所に移封された際に再会し、以降住職一族と戸田氏の関係が続いていくこととなる。
元和3年(1617年)に戸田氏鉄が膳所藩から尼崎藩へ移されると、秀賢の子で弥勒院2世の秀尊も尼崎へ移り、そこにあって廃れていた般若寺の住持となって戸田氏に仕えた。
さらに寛永12年(1635年)戸田氏が尼崎藩から大垣藩へ転封されると秀尊もそれに従って移り住んだ。
その後、秀尊の長男正盛は岐阜町に文珠院を構えて大垣藩の修験道の総取締に任ぜられた。
宝暦6年(1756年)には火伏のための愛宕社を境内に勧請している。
文化9年(1812年)、岐阜町周辺が火災により焼失。
当寺も焼け落ちるが翌年復興を遂げている。
明治3年(1870年)、神仏分離令により境内の愛宕社を分離して愛宕神社とし、寺号を文殊院から文珠寺に改めた。
明治24年(1891年)に濃尾地震により大きな被害を受ける。
再建の際に道路を境内地の真ん中に通す計画が持ち上がったため現在地に移転している。
2019/03/25参拝西美濃三十三所観音霊場朱印帳と朱印を頂きたいと庫裏に先に行って奥様が対応して頂いたのですが、本堂へ上がると朱印帳も朱印もセルフサービスで授受できる駅近くの街中なのに、性善説での運営過ぎやしませんか?と、心配になる程でした。
本尊 文殊菩薩、札所本尊 観音菩薩共に秘仏で拝見する事は出来ませんでした。
西美濃三十三所の朱印帳は、商工会議所でも購入可能。
白光山文殊寺 真言宗大垣藩戸田氏の菩提寺で九曜の紋を拝している大垣城の鬼門の位置に立っている。
名前 |
文殊寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0584-78-5361 |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
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西美濃三十三観音霊場 二十九番札所 高野山真言宗 聖観音菩薩。