昭和8年に国指定になっていました。
昭和8年に国指定になっていました。
古き史跡です。
公衆トイレあります。
草刈りがしてありきれいに管理されてました。
枇杷の木はなかった。
😭
清々しい、心落ち着く場所です。
島津氏と大友氏の戦における死者を弔うため、島津氏が建てた六地蔵塔があります(それにしても島津氏は六地蔵塔が好きで、島津分家の墓地で六地蔵塔を多く見かけます)。
そこそこ広めの駐車場があるので、訪問しやすいです。
あまり訪れる人はいませんが、割りと綺麗に整備されています。
2019年GWに訪問けっこうな雨の中、同好の士と少し話ができましたなんかもうすごい立派な道がついてるのよね耳川の戦い合戦場跡あたりにカーナビをセットして、あとは目視でたどり着けました静かな場所です。
耳川の戦いの供養塔。
名前 |
宗麟原供養塔 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
0983-27-8020 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mch/details/view/1846 |
評価 |
4.1 |
高城川の戦いの際、大友宗麟はここまできておらず、延岡市無鹿町に本陣を置いていたそうです。
南へ数100m行くと土塁のような形状がありました。
位置的に松山塁かと思いましたが明示されておらず定かでありません。