私の心落ち着く場所です。
家康ゆかりの神社です。
境内には街中にある天然記念物の大くすはやはり見ごたえがあります。
そしてその前には小さな天然石の石鳥居があり非常に珍しいと思います。
見ごたえありのおすすめの神社です。
由緒等元は岡崎城内白山曲輪にあったそうです。
永禄9年(1566)に、家康公が厄除開運祈願と祈祷のために、源氏である新田氏ゆかりの地「上野国新田」(現・群馬県新田郡)から勧請したと伝えられています。
御祭神は「白山姫命(菊理媛神・菊理姫神 とも)」と「新田義重公」。
ちなみにこの新田義重の子義季が、得川郷の領主となり得川(とくがわ)四郎(世良田義季とも)と称しましたと云われる人です。
(その後、得川郷は義季の長子頼有が継承し、得川四郎太郎と称し、次子頼氏が世良田郷を継承して世良田氏と称しました。
)実は家康は、三河守任官を朝廷に働きかけて正親町天皇に「世良田源氏の三河守任官は前例が無い」との理由で拒否されたため、同年永禄9年(1566)近衛前久に対処を依頼し、世良田氏で、世良田義季(得川義季)の末裔ではあるが、世良田頼氏の嫡男と弟から、源氏から藤原氏支流へ分流したと称して得川氏の末裔として字を変え「徳川」への改姓と藤原氏への本姓変更ともに従五位下三河守に叙任されたのです。
要するに「新田の白山大権現は御氏神なり」とわざわざ得川発祥の地から勧請し新田氏系得川氏の末裔だとやったわけなのです。
そして30数年後に関ヶ原の戦いの後、慶長年間に吉良家の系図を借用し細工し、源氏に戻し、徳川氏は世良田氏直系の源姓で得川氏を復活した氏族であるということにして、家康は征夷大将軍に就任したのです。
そして代々の城主の産土神として崇敬されました。
そんな経緯もあり、現在では家康公ゆかりの「厄除祈願」と「立志開運」の神社として信仰を集めています。
また、境内には樹齢600年以上ともいわれる天然記念物の大くすがあり、市街地中心部の巨樹として非常に価値が高いと云われています。
御神木として信仰の対象とされ、また、この大くすの前には自然石を使ったとても珍しい小さな石鳥居があります。
疱瘡にかかった家康(25歳の時)がこの石鳥居をくぐって病が完治したと伝えられています。
毎年6月30日の夕方に夏越の神事が行われ、厄除祈願祭と茅輪くぐり、石鳥居(自然石鳥居)くぐりがこの御神木の前で行われています。
毎年氏子をはじめとして大勢の崇拝者で賑わっているそうです。
自然でできた石鳥居の後方に扇形に彫刻された小さな石があり、その要の穴から鳥居越しに岡崎城天守閣を見ることができた◯
名前 |
新田白山神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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私の心落ち着く場所です。
これからも宜しくお願い致します。