幕末の志士と語る河井継之助資料館。
長岡市 河井継之助記念館の特徴
河井継之助邸の跡地に位置する資料館です。
映画峠の企画展も楽しめる場所です。
長岡藩のラストサムライの偉業を知ることができます。
河井継之助邸の跡地に作られた資料館です。
ご本人の像だけでなく、「河井継之助と言えば…」のガトリング砲も展示されていて、すばらしい記念館です。
1階は写真撮影OKというのもありがたいです。
良い記念になりました。
6月22日映画「峠」公開を記念して企画展を見に行ってきました。
激戦の八丁沖は田舎住まいの近く河井継之助の母親の名前が貞(てい)、私の母はテイ(笑)自筆の文や日記の文字は優しくて今風。
初めて来られる方は規模が小さくて驚かれるでしようねー会津の河井継之助記念館も見られる事をお勧めします。
こちらの方がリアル感のある展示方法で施設も立派です。
江戸時代末期を代表する偉大なる人物です。
土日はガイドさんが付いて詳細に解説をしてくれます。
山本五十六記念館から歩いても5分前後新潟県長岡市の2大ヒーロー?思ったよりガトリング砲は弾倉が薄く効果が少なそうでした。
二〇二一年六月現在、新型コロナ対策のため入館には事前予約が必要と入口に貼紙されていますが、先方の都合がつけば当日直前でも予約は可能なようです。
四〇年ほど前に河井継之助を主人公にした「峠」を読んで司馬遼太郎にはまった私としては、いつかは行きたいと思っていた名所のひとつですが、行ってみればまあ、一回行けば十分かなという気はしました。
一般受けしそうなのは継之助が官軍気取の増上慢どもを駆逐するのに使ったガトリング砲のレプリカぐらいのもので、他はひたすら ( ´_ゝ`)フーン な感じです。
そうは言っても二〇二二年には「峠」の映画も公開されるようなので、予習復習しておきたい方はどうぞ。
とても親切な皆さんがあつく語ってくださいました。
「愛」ですね。
只見町の記念館もあわせてどうぞ。
幕末の志士 河井継之助の資料館。
長岡藩の家老。
戊辰戦争時は当時の最新兵器、ガトリンク砲(機関銃)を二丁購入し、官軍相手に撃ちまくった、と言われています。
当時日本に三丁しかなかったガトリング砲を長岡藩は二丁保有していたそうです。
ガトリング砲のレプリカが展示されています。
河井継之助はこの戦争で負傷し、会津に退却する道中41歳で亡くなりました。
長岡出身では、太平洋戦争時の提督山本五十六と並ぶ有名人です。
お互いの資料館は近いので、一緒に見るのがお勧めです。
高校生の時に司馬遼太郎『峠』を読んで河合継之助と言う人物に惹かれた。
最後は破れこそしたが、官軍2万の大軍を3ヶ月にわたり長岡に釘付けにできるくらい長岡藩を短期間で強くした人物だ。
元は個人宅を改装して資料館としている。
駐車スペースは4台。
現在は事前の電話予約制だが、当日連絡でも大丈夫。
一部展示物の撮影が可能。
小さな資料館ですが、河合継之助の事績がコンパクトに纏められている。
河井継之助はとても正義感が強く、革新的な考えの持ち主だということが解りました。
今は予約制なので、ゆっくり館内を回ることができました。
長岡の歴史を改めて知ることができてよかったです。
展示物は少なめですが生家の所にあります、庭木を眺め当時を思いふけるのもいいと思います。
長岡が産んだ天才 河井継之助の生家跡に建てられています。
入って直ぐに河井先生が横浜から買ってきたガトリング砲のレプリカが置いてあります。
展示内容は少し貧相ですが、山本五十六記念館の直ぐ近くなのでセットでどうぞ。
長岡藩の財政改革を成し遂げつつも、武士の義理を守り戊辰戦争に散ったラストサムライ、河井継之助の(生家跡に作られた)記念館。
河井継之助は、年々全国区での知名度が高くなりつつありますが、より多くの人、世界の人にも知ってもらいたい人物だと思いました。
外国人の訪日数が増えている昨今、英語資料の充実に期待したいと思います。
因みに受付の方の応対が親切で丁寧。
また入場料も大人200円と安く、とても素晴らしい施設です。
名前 |
長岡市 河井継之助記念館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0258-30-1525 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 10:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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映画を見てたまたま行きました。
勢いを増す新政府軍に抗う長岡藩、直談判。
坂東の民からすると胸がすく思いがありつつ、一方無念でしかない。
私自身も日本人であるという意識はありながらも、そもそも日本人とはなんだったのか。
ここの展示にあるような、彼の思いが我々の国を形作る一つであってほしい。
この混沌の世に思います。