水路閣の方からつながっています。
水路閣の方からつながっています。
在学中、当時の京都知事に請われて琵琶湖疎水の設計、施工の総責任者になりました。
日本初の水力発電所を作るなど京都発展の礎の事業。
像の右後ろに博士の顕彰碑があります。
インクラインから少しだけ外れたところにあります🙂琵琶湖疏水記念館に行った後だったので、この人が偉業を成し遂げた人なのかと尊敬🤩なかなかに男前かも?😀
若き天才であり努力家であった、田邊朔郎氏像です。
右手に設計図を持った勇姿です。
琵琶湖疏水の歴史を感じます。
公園の奥に建つ田邊朔郎博士像は、琵琶湖疏水工事の主任技師・田邊朔郎を讃えて、1982年に京都華頂ライオンズクラブが建てた。
傍らに建つのは1923年に京都府が建てた「工学博士田辺朔郎君紀功碑」。
幕末の1861年に江戸根津で生まれ、1883年に東京大学工学部の前身の一つである工部大学校を卒業し、当時の京都府知事・北垣国道に請われ、工部大学校長の推薦を受けて、京都府御用掛となり、琵琶湖疏水工事や日本初の水力発電所・蹴上発電所の建設に従事した。
その後、東帝大教授、京帝大教授として後進を育て、京帝大工科大学長を務めたほか、北海道庁長官となっていた北垣に請われ、北海道官設鉄道の計画・建設に携わり、その後も、大阪市営地下鉄の建設計画、関門海底トンネル建設などに関与し、日本の近代土木工学の礎を築いた。
1944年、84歳で亡くなった。
21/04/03、コロナ禍の中、蹴上のインクライン周辺を桜を見物する人がたくさんいた。
そんな場所でひっそりと建つ博士像と紀功碑は、今の京都を作った大切な記念碑の一つだと思う。
公園の中にあります(`・∀・´)
インクラインを作った土木技術者。
京都の産業振興にために建設された琵琶湖疏水の指導的立場の技術者だった方です。
京都知事だった北垣国道と測量技術者の嶋田道生が10年程前から進めていた計画で着工の目処が立った段階で指導者として現東大在学中の同氏が選ばれたそうです。
優秀な方であることは間違いないのでしょうが実質的なキーマンはトンネルの技術をも熟知した嶋田氏だったようです。
北垣国道さんの長女が奥様です。
第一琵琶湖疏水がひと段落した頃には3人とも北海道開拓でした。
ちなみに疏水を反対した滋賀県知事も北海道です。
名前 |
田邊朔郎博士像 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
気品のある像。
日本の誇るべき人物。
銅像も銅像の建立してある場所も納得。