向こう側に配電盤のようなものがあります。
釈迦堂から奥比叡ドライブウェイを越えて山道を歩いていくと小さなお堂が見えます。
山道はアップダウンはあるものの、綺麗に整備されているので歩きやすかったです。
信長の比叡山焼き討ちで唯一残った建物だそうです。
ドライブウェイ沿いのモミジが最高にきれいでした。
特別御開帳でお詣りさせて頂きました。
災難から逃れ、400年以上も雨風に耐え抜いたお堂を拝見すると、そこまでの遠い道のりの疲れも飛びます。
この様な山道を、千日回峰行では暗闇の中でも休まず毎日歩き通すのかと思うと、言葉も出ません。
ご案内のお坊さまには、何千人もの人々にご説明頂き、感謝です。
一生の思い出になります。
比叡山焼き討ちを逃れた唯一だとか?行っといて良かったです。
1571.5.12信長の焼き討ちの憂き目にあった比叡山一体のお寺が全て燃えて喪失。
そのさなかにあって、唯一火災から免れたのが「瑠璃堂」。
2050.11.30迄の限定初公開と聞きお参りにやってきました。
入り口ではお坊さんが絶妙な解説をなさっていました。
おもわず、2回も聞いてしまったほどです。
合掌。
内部初公開とのことで拝ませていただきました。
仏さんはかなりきれいでした。
比叡の秋まつり2020で特別公開をされていて、薬師瑠璃光如来さまを拝見することができました。
ただただ素晴らしかったです…✨瑠璃堂へ続く山道もよい気に満ちていました。
2020年10月に運良く公開された折に参拝することができました。
非常に貴重な機会を与えていただきました。
釈迦堂から10分?と表示が出ていますが、山あり谷ありの道を下っていくので実際は1.5倍〜2倍の時間がかかります。
途中、奥比叡ドライブウェイを横断するので車に注意です。
平日でしたが予想より多くの人出でした。
さすがは初公開ですよね。
素晴らしかったです。
ご本尊の薬師如来様も大変に綺麗でした。
紅葉も綺麗でした。
室町後期に建てられ、信長の焼き討ちを免れた山内唯一の建物であるというのが定説。
瑠璃堂創設の時期は不詳だが、1275年に編纂された『阿娑縛抄』や鎌倉期の寺誌『叡岳要記』に北谷瑠璃堂が示されていることから鎌倉期には存在していたとされる。
1767年に編纂された『山門堂社由緒記』には、元慶年間、本尊が光を放ち、ときの陽成天皇が驚いて光を放つところを探させたところ、この地に至り、「放光院」の号を授けた。
のちに村上天皇が天台座主に仏堂を建てさせ、薬師如来などの仏像を安置したとの記録がある。
釈迦堂からドライブウェーを渡って北の谷にひっそり佇んでおり、以前は青龍寺への道の途上にあり、釈迦堂脇に青龍寺への参道を示す石柱も立っている。
しかし、現在は崩れて瑠璃堂から先は進入禁止となっていた。
20/11/19にお詣りしたときには、神々しく輝くご本尊・薬師如来にお詣りできた。
釈迦堂の脇からドライブウェイに出て、少し東塔側に戻ると、向こう側に配電盤のようなものがあります。
そこから下る道があるので、下りてください。
車が入れるように見えますが、自家用は駐車場に置いて歩いて下りましょう。
お堂の他は管理する方の住まいのようなものがあるだけです。
信長の焼き討ちを逃れた唯一のお堂。
ドライブウエイの「相輪橖」近くに狭いですが、パーキングスペースがあります。
そこから100mくらいケーブル駅側に戻ると右に鋭角な脇道があります。
確か、未舗装です。
それをひたすら道なりに進んでください。
車での侵入はやめてください。
歩いて10分くらいと思います。
途中、これであっているのか?と多くの方は思うと思いますが、道は一本道なので、まず間違えないと思います。
突き当りに、寺院の様な建築物と、その手前にお堂が見えてきます。
このお堂が瑠璃堂です。
国指定重要文化財です。
凛とした雰囲気。
味わい深いお堂と亀*🐢に乗った石碑が1つあるだけの場所です。
場所が分かりにくすぎて, 信長の焼き討ちを逃れた唯一のお堂だとか。
(なのになぜ延暦寺にここよりも古い建築物があるのかと言うと, 焼き討ち後に他の場所から古いものを移築したから〜)ちなみに地図に記されている青龍寺と結ぶ道は, 現在は危険な状態で閉鎖されているとのことなので, ドライブウェイからしかアクセスできないということですね。
また, 門から向こうの新しいお寺と住居は瑠璃堂とは直接の関係はないとのことでした。
2017.6.15(*正確には, 贔屓/贔屭ヒ(イ)キと呼ばれる亀に似た中国の伝説上の生物。
重さを担う事を好むとされ, 石碑の台のモチーフに用いられたり, 日本では転じて好きな役者等をサポートする行為を呼ぶ様になったとされる。
一般的には, 石碑の台になっている亀の形のものは, 亀趺キフと呼ばれている様です)
青龍寺側からの道(黒谷道)は寸断されています。
唯一の道は、ドライブウェイを横断しなければなりません。
個人的には、今のまま、人の少ないひっそりとした空間であり続けてほしいです。
室町時代建立とみられる建物で、比叡山で元亀の兵火を逃れた唯一の現存建物だそうです。
信長公の焼き討ち〜現在まで唯一現存する貴重なお堂です。
が…ルートが非常にわかりにくくて、途中で引き返す人が続出すれ違う人も、道が正しいかお互いに不安で思わず話しかけてしまうくらい。
本当に道が解り辛いので、比叡山のお寺の方が観てたら改善お願いします。
一応ルートの目印になるであろう写真上げますので改善されるまで、道が解らない方は参考にして下さい。
正しい場所ではありません。
(原文)It's not correct location.
名前 |
瑠璃堂 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
077-578-0001 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
⭐️1571年9月織田信長、比叡山延暦寺へ攻撃焼き討ち全山3000余坊焼き払い灰燼、その中で唯一焼失を免れたお堂⁉️⭐️NHK大河ドラマ『麒麟がくる』番組終わりの「紀行」で紹介されてました📺️⭐️明確な資料なく建立年不明、構造などから鎌倉時代~室町時代の建造物、西塔の中心地域から離れた西塔北谷に位置、本尊が「薬師瑠璃光如来」なので瑠璃堂との呼称、正方形の建物に緩やかな屋根の反りに苔、静寂と趣と風情あり、素敵です、国重要文化財、特別公開日以外は内部は非公開✨⭐️知る人ぞ知る場所⭐️西塔「釈迦堂」の左側を通り裏手石段へ、「奥比叡ドライブウェイ」に出ます(通行車両に注意🚙)、左側へ30m道路反対側に進入路あり、案内板などはありません、そこから400~500m道なりに進むと樹木の向こうにひっそりと佇んでます、是非、発見的気分😌