谷町4丁目駅から大阪城の間にあります。
K.W.ハラタマ博士像 / / .
尊王攘夷うずまく幕末、すでに幕府はその非力を悟り、方向を未来に向けて転換しつつあった。
幕末から明治初期、中期にかけて多くの外国人教官が日本を訪れる。
新政府になった日本は、その遅れを取り戻すべく、学問の全分野にわたり、急ぎ、彼らを招聘することにしたのだ。
その数、約2700名。
1866年長崎に着いたハラタマ博士もその一人。
しかし当時の日本人学生は、理化学のような難解な講義を、どのくらい理解したのだろうか?大阪舎密局跡に建つハラタマ博士の堂々たる胸像は、爽やかな人格を今に示しているようだ。
谷町4丁目駅から大阪城の間にあります。
大きな木の下。
幕府の招きで来日したオランダ人のクーンラート・ウォルテル・ ハラタマ氏。
明治期になっても滞在し、日本の理化学の発展に寄与してくださいました。
名前 |
K.W.ハラタマ博士像 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
目立ちませんが、近代日本の功労者でいらっしゃいます。
2018.09.09