やはりいわれのある山でした。
位置的にも、その名からしても、明らかに稲積山を崇める社。
参道に対して社殿は横を向いており、拝礼すると稲積山に正対する。
あるいは舟に乗り伊呂波川から出入りしたのかも。
応長四年(1314) 山上から遷座したというから、やっぱり山登りしての参拝は、昔の人にもキツかったようだ。
辛嶋氏伝承では八幡神は先ず、宇佐郡辛国宇豆高島に天降った。
うずたか島(不詳)の候補地が稲積山らしい。
シマと称するのは普通、縄張りのことであろうし。
稲積山がウズタカ山であると断言できる要素はなない。
稲積山は標高こそさして高くはないものの、形の良い孤立峰で、登ると眺めが良さそう。
見るからに国見の山、そして修験場を思わせる。
地図など無い時代、鳥瞰を得て地理を知るには、このような高所へ登るしかなかった筈。
軍事拠点ともなったであろう。
この山の守役として辛嶋氏が就いていたのなら、随分な信用である。
辛嶋氏が住んでいたり求菩提山の修験が来ていたりした土地、しかし夏休みなのか、田んぼの稲以外に誰も居なかった。
名前 |
稲積六神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
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中津から見て、穂積山の形が綺麗だと思って調べたら、やはりいわれのある山でした。