今は本堂・庫裏のみしかありません。
庭園がきれいでした。
白川風土記では護摩堂・稲荷社・鎮守社が記載されていますが、今は本堂・庫裏のみしかありません。
神様は本堂に一緒に祀られてるのかな?永徳寺 大町(白川風土記)境内 東西五十四間 南北四十間余町北側にて東の端にあり、真言宗京師報恩院の末山なり、さんごうを柏原山と云う、院号を宝生院と云う、応安五年僧聖海の草創と云う、聖海は和州吉野の人なりとそ、其後永徳元年一宇の道場となりにければ、始めて此寺号を称す、其所、本柏木の多き原野なりし故に山号を柏原山とす、本尊は行基の作の虚空蔵にして、南方の宝生尊なる故に院号も亦是に本つく、近郡の檀林所の寺格にて、正保四年官より三十石の御朱印を玉ふ(元は大久保石見守の墨印なりし、後に御朱印を改て賜る)昔、堂塔・宿坊・下馬牌等ありて旧記、伝記のも持伝えたれども、万治年中回禄に罹て鳥有となる客殿 十間に八尺、板葺、本尊虚空蔵、木仏、坐像、長け一尺三寸五分庫裏 五間に七間三尺護摩堂 二間に二間三尺、瓦葺、堂中に歓喜天の像を安置す稲荷社 二間に二間三尺鎮守社 二間に二間三尺、板葺什物薬師如来 木仏、坐像、長け一尺三寸五分、春日の作と云伝う地蔵菩薩 木仏、立像、長け三尺、弘法の作と云伝う不動尊 木仏、立像、長け七尺五分、興教の作と云伝う大黒天 木像、長け三寸五分、菅公の作と云伝う。
名前 |
永徳寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0257-22-2461 |
住所 |
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評価 |
2.3 |
本堂の前の松の木が『海に近い町のお寺だなぁ』とゆう感じ✋お寺の辺りにやたら人が居るなぁと思ったら、直ぐ隣の飲食店のお客さんでした😅