名前 |
浄興寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
塔頭三寺を抱えるだけ立派なお寺です。
本堂は鉄筋コンクリートで再建されていますが、やっぱり木造の風情には敵いませんね。
入り口には「聖徳太子駒留石」の石碑があります。
本尊阿弥陀如来は聖徳太子の作と伝えられているそうで、本当に柏崎に御出でになったのでしょうかね?浄興寺 橋詰町(白川風土記)東西八十間 南北六十間町の通りより十間西に入る、山号を歓喜踊躍山と云う、浄土真宗にて京都東本願寺の末山なり、同国高田浄興寺 の十五代善芸と云う僧建立して、初は玄瑞寺と云う、善芸の子長昌院の弟侍従と云しを住職と定めしに、上杉景勝より銭山を寄附あり、其後、堀久太郎秀政当国知行の時、今の鵜川の島東西八十間、東西南北六十間の地を寄付ありて、秀政の女を当時に嫁がせしか、子なければ承応年中、高田の浄興寺十七是心院本山へ願い、玄瑞寺をも浄興寺と改む、其時本山より鵜川の坊の号を免許あり、されは今、門前を御坊町と云う客殿 十二間に二十間、板葺、本尊阿弥陀如来、木仏、立像、長け三尺一寸八分、聖徳太子の作と云ふ庫裏 十五間に2間、萱葺廊下 三尺に五間三尺、南面鐘楼 2間四方、板葺塔頭 専念寺、本龍寺、正法寺。